「本通寺 (佐賀市)」の版間の差分

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== 歴史 ==
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[[室町時代]]中期の[[永享]]年間に、[[日寿]]上人によって開れた。[[肥前国]][[小城市|小城郡]]主[[九州千葉氏|千葉氏]]および[[佐賀藩]]主[[鍋島氏]]の一族である[[肥前石井氏|石井氏]]の帰依を受け、その菩提寺となった。
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境内には、[[石井生札]](藩祖[[鍋島直茂]]家老)、[[石井正能]]([[島原の乱]]一番槍の勇将)、[[石井松堂|石井龍右衛門]](幕末の国学者)、[[石井富之助]]([[戊辰戦争]]時の新政府軍海軍参謀補助)らの墓所がある。

境内には、生札のほか、[[石井正能]](生札の孫、[[島原の乱]]一番槍の勇将)、[[石井松堂|石井龍右衛門]](幕末の国学者)、[[石井富之助]]([[戊辰戦争]]時の新政府軍海軍参謀補助)らの墓所がある。


== 交通 ==
== 交通 ==

2019年5月2日 (木) 15:19時点における版

本通寺
所在地 佐賀県佐賀市高木瀬東3丁目12番地25
宗派 日蓮宗
創建年 永享年間
開基 日寿上人
法人番号 3300005000846 ウィキデータを編集
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本通寺(ほんつうじ)は、佐賀県佐賀市高木瀬東にある日蓮宗仏教寺院佐賀藩鍋島氏の藩祖以来の外戚家門・石井氏の菩提寺の一つ。山号は、弘法山。旧本山は佐賀市高木町の観照院。親師法縁。

歴史

室町時代中期の寛正3年(1462年)、千葉胤俊が開基となり、開山を常在院日寿上人として開創された。肥前国小城郡千葉氏および佐賀藩鍋島氏の一族である石井氏の帰依を受け、その菩提寺となった。

当山は一時期、隆盛を誇っていたが、安土桃山時代の頃には衰退した。佐賀藩祖鍋島直茂の家老であった石井生札が再興。生札は武勇の将であったが、幾多の合戦で多くの人を殺傷した罪滅ぼしを思い立ち、落ちぶれていた当山を再興し、みずから住職となり日栄上人と呼ばれ、寺を守った。その後、二代、三代と、石井氏が住職をつとめた。

境内には、生札のほか、石井正能(生札の孫、島原の乱一番槍の勇将)、石井龍右衛門(幕末の国学者)、石井富之助戊辰戦争時の新政府軍海軍参謀補助)らの墓所がある。

交通

関連項目

参考文献