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*[[アフマダーバード空港]] - 正式名称が'''サルダール・ヴァッラブバーイー・パテール国際空港''' |
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*[[統一の像]] - 2018年に完成した世界最大のインドの立像 |
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==脚注== |
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2018年11月11日 (日) 05:53時点における版
ヴァッラブバーイー・パテール વલ્લભભાઈ પટેલ Vallabhbhai Patel | |
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ヴァッラブバーイー・パテール | |
生年月日 | 1875年10月31日 |
出生地 |
イギリス領インド帝国 Nadiad(現グジャラート州) |
没年月日 | 1950年12月15日(75歳没) |
死没地 | インド、ボンベイ |
前職 | 弁護士 |
所属政党 | インド国民会議 |
初代副首相 | |
内閣 | ジャワハルラール・ネルー内閣 |
在任期間 | 1947年8月15日 - 1950年12月15日 |
大統領 | ラージェーンドラ・プラサード |
内閣 | ジャワハルラール・ネルー内閣 |
在任期間 | 1947年8月15日 - 1950年12月15日 |
"サルダール"[1]・ヴァッラブバーイー・パテール(グジャラート語:વલ્લભભાઈ પટેલ、1875年10月31日 – 1950年12月15日)はインドの政治家。インド国民会議所属。法廷弁護士でもあった。ジャワハルラール・ネルー初代首相の下で副首相・内務大臣を務め、インド・パキスタン分離独立に際しては多くの藩王国を巧みな手腕でインドに帰属させ、インドの鉄の男、インドのビスマルクと呼ばれた。
関連項目
- マハトマ・ガンディー
- ジャワハルラール・ネルー
- アフマダーバード空港 - 正式名称がサルダール・ヴァッラブバーイー・パテール国際空港
- 統一の像 - 2018年に完成した世界最大のインドの立像