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'''モノクローム・セット'''(''The Monochrome set'') は、[[イギリス]]のロック、ニュー・ウェーヴ・バンドである
|名前 = モノクローム・セット
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|画像説明 = 「The Monochrome Set」2016年 ドイツ「Club W71」にて
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|別名 = ザ・モノクローム・セット
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|公式サイト = [http://www.themonochromeset.co.uk/ The Official Monochrome Set Site]
|メンバー = ビド<br />アンディー・ウォーレン<br />Mike Urban<br/>John Paul Moran
|旧メンバー = <br />レスター・スクエア<br />J.D.ヘイニー<br/>トニー・ポッツ<br/>Jeremy Harrington<br/>Philip Morris<br/>レキシントン・クレイン<br/>Orson Presence<br/>キャリー・ブース<br/>ニコラス・ウェロソフスキ<br/>ジェイムス・フォスター<br />Jennifer Denitto<br/>Steve Brummel
}}


'''モノクローム・セット'''(''The Monochrome set'') は、[[イギリス]]の[[ロック]][[ニュー・ウェーヴ]]・バンド。
70年代後半の[[パンク・ロック]]・ムーブメントの時代に、ロンドンの[[インディーズ]]レーベル、[[ラフ・トレード・レコード|ラフ・トレード]]<ref>http://www.discogs.com/ja/label/51167-Rough-Trade</ref>からデビューした。[[サイケ|サイケデリック・ロック]]、[[エスニック]](リーダーのビド(Bid)はインドとアメリカのハーフ)など、様々なジャンルを吸収したロック・サウンドを展開している。
1979年に、[[ロンドン]]の[[インディーズ]]レーベル、[[ラフ・トレード・レコード|ラフ・トレード]]<ref>http://www.discogs.com/ja/label/51167-Rough-Trade</ref>からデビューした。


== 概要 ==
[[アンディー・ウォーホル]]は彼等のサウンドについて「[[ベンチャーズ]]と[[ヴェルヴェット・アンダーグラウンド]]を足して2で割った様」だと評した。
古い音楽を否定する空気であった1970年代後半の[[パンク・ロック]]・ムーブメントの時代にも、英国ポップスの伝統を受け継ぎ、ねじれたセンスと軽妙洒脱なサウンドを持った<ref>大鷹(1997 p,138)</ref>。
また、Monochrome setとは白黒テレビを意味している。
のちに[[ネオアコ|ネオ・アコースティック]]や[[ギターポップ]]の元祖の一つとして位置付けられるようになるが、[[サイケデリック・ロック|サイケ]]、[[サウンドトラック|映画サントラ]]、[[民族音楽|エスニック]](リーダーのビド(Bid)はインドとアメリカのハーフ)など、様々なジャンルを吸収した一筋縄ではいかないロック・サウンドを展開している<ref>{{Cite web |author=小野島大 |date=2016-05-15 |url=https://rockinon.com/disc/detail/142834 |title=英国風極上ひねくれポップ-『ヴォリューム、コントラスト、ブリリアンス・・・VOL.2 / アンリリースト・アンド・レア』モノクローム・セット| 洋楽 CD/EP新譜レビュー |website=音楽情報サイトrockinon.com |publisher=[[ロッキング・オン]] |accessdate=2018-06-17 }}</ref>。

[[アンディー・ウォーホル]]は彼等のサウンドについて「[[ベンチャーズ]]と[[ヴェルヴェット・アンダーグラウンド]]を足して2で割った様」だと評した<ref name="80GP" />
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== 歴史 ==
== 歴史 ==
結成は1978年であり、紆余曲折を経て1979年に以下のメンバーに至った。
結成は[[1978年]]であり、紆余曲折を経て1979年に以下のメンバーに至った。
B-サイズ(後の[[アダム&ジ・アンツ]])に在籍していたビド(vo)(Bid)、レスター・スクェア(g)(Lester Square)、アンディー・ウォーレン(b)(Andy Warren)の3人と、元アート・アタックスのJ.D.ヘイニー(ds)(J.D.Haney)、トニー・ポッツ(Film)(Tony Potts)が初期(最盛期)の主なメンバーである。
B-サイズ(後の[[アダム&ジ・アンツ]]に在籍していたビド(vo)(Bid)、レスター・スクェア(g)(Lester Square)、アンディー・ウォーレン(b)(Andy Warren)の3人と、元アート・アタックスのJ.D.ヘイニー(ds)(J.D.Haney)、トニー・ポッツ(Film)(Tony Potts)が初期(最盛期)の主なメンバーである<ref name="80GP" />
1980年には、ヴァージン・レコード系DinDiscから、Bob Sargeantによって制作されたアルバム「ストレンジ・ブティック」を発表した。それは1980年にアルバム・チャートのNo. 62に達した。彼らのフォローアップ活動であるLove Zombiesは、同年後半にアルヴィン・クラークとバンドによって結成された。Haneyは1981年にバンドを去り、Lexington Craneに交代した。
1980年には、[[ヴァージン・レコード]]系DinDiscから、Bob Sargeantによって制作されたアルバム「ストレンジ・ブティック」を発表した。それは1980年にアルバム・チャートのNo.62に達した。彼らのフォローアップ活動であるLove Zombiesは、同年後半にアルヴィン・クラークとバンドによって結成された。Haneyは1981年にバンドを去り、Lexington Craneに交代した。


1982年、バンドはCherry Redにレーベルを切り替えて、Tim Hartによって制作されたサード・アルバム「Eligible Bachelors」をリリースした スクエアとクレンはすぐに脱退し、キーボードのキャリーブースとドラマー、ニコラス・ヴェロソフスキに交代した。 このラインナップは、ブースが新しいリード・ギタリストのジェームス・フォスター(後にDavid Devant&His Spirit Wife)に代わる前に、Cherry Redのために1982年にシングル「キャスト・ア・ロング・シャドウ」を収録した。
1982年、バンドは[[チェリーレッド・レコード|Cherry Red]]にレーベルを切り替えて、Tim Hartによって制作されたサード・アルバム「Eligible Bachelors」をリリースした<ref>{{Cite web |author=村尾 泰郎 |date=2006-11-22 |url=http://tower.jp/article/feature/2006/11/22/100035386/100035387/100035389 |title=WHEN THE PARTY IS OVER... 80年代初頭に一大ムーヴメントを起こしたネオアコってなんだ? |website=TOWER RECORDS ONLINE |publisher=[[タワーレコード]] |accessdate=2018-06-17 }}</ref>。スクエアとクレンはすぐに脱退し、キーボードのキャリーブースとドラマー、ニコラス・ヴェロソフスキに交代した。 このラインナップは、ブースが新しいリード・ギタリストのジェームス・フォスター(後にDavid Devant&His Spirit Wife)に代わる前に、Cherry Redのために1982年にシングル「キャスト・ア・ロング・シャドウ」を収録した。


1983年、Cherry Redは、初期のRough Tradeシングル、BBCとCapital Radioのセッション、未発表の初期セッションの回顧録、Volume、Contrast、Brilliance ...をリリースした。
1983年、Cherry Redは、初期のRough Tradeシングル、BBCとCapital Radioのセッション、未発表の初期セッションの回顧録、Volume、Contrast、Brilliance ...をリリースした。
結局、彼らの所属レーベルは、ラフ・トレード、[[ヴァージン・レコード]]傘下のディン・ディスク(Din Disc)、プレ(Pre)、[[チェリー・レッド・レコード|チェリー・レッド]]、[[ブランコ・イ・ネグロ・レコード|ブランコ・イ・ネグロ]]と転々としたが、グループは1985年に解散することとなった。
結局、彼らの所属レーベルは、ラフ・トレード、[[ヴァージン・レコード]]傘下のディン・ディスク(Din Disc)、プレ(Pre)、[[チェリー・レッド・レコード|チェリー・レッド]]、[[ブランコ・イ・ネグロ・レコード|ブランコ・イ・ネグロ]]と転々としたが、グループは1985年に解散することとなった。
解散後ビドはソロ活動を行いラジ・カルテットと名乗りシングルもリリースした。
解散後ビドはソロ活動を行いラジ・カルテットと名乗りシングルもリリースした。
レスターはJesus Couldn't Drumのアルバム"Good Monornin' Lester Square"に参加したり、インジブル (The Invisible) を結成した。
レスターはJesus Couldn't Drumのアルバム"Good Monornin' Lester Square"に参加したり、インヴィジブル (The Invisible) を結成した。
メンバーだった数名はWould be goodsのデビュー・アルバムのバックでも参加した。
メンバーだった数名はウッド・ビィ・グッズ(Would be goods)のデビュー・アルバムのバックでも参加した。
[[1990年]]に再結成し、初来日(1990年7月)も果たした。
[[1990年]]に再結成し、初来日(1990年7月も果たした<ref name="80GP" />
その後も来日した(丁度、[[節分]]の時期であったことから、麦わら帽子をかぶったレスターがステージで[[豆まき]]をおこなった(川崎チッタ)90年から98年まで活動し、二目の解散。2008に三度目の再結成を果たし、活動を続けている。
その後も再来日した([[CLUB CITTA'|川崎チッタ]]では丁度、[[節分]]の時期であったことから、麦わら帽子をかぶったレスターがステージで[[豆まき]]をおこなった1990年から1998年まで活動し、二目の解散。2008に再結成し、三度目の活動を続けている。


==ディスコグラフィ==
==ディスコグラフィ==
===シングル===
===シングル===
* Alphaville ([[1979年]]) Rough Trade (アメリカ版のシングルは[[I.R.S.レコード|I.R.S.]]よりリリースされジャケットが異なっているバーコードが[[鉄格子]]のようにデフォルメされ、向こう側に人が居る
* Alphaville ([[1979年]]) Rough Trade アメリカ版のシングルは[[I.R.S.レコード|I.R.S.]]よりリリースされジャケットが異なっているバーコードが[[鉄格子]]のようにデフォルメされ、向こう側に人が居る
* Eine Symphonie Des Grauens ([[1979年]]) Rough Trade
* Eine Symphonie Des Grauens ([[1979年]]) Rough Trade
* The Monochorome Set ([[1979年]]) Rough Trade アルバムの同曲はAdam&The Antsバリのドコドコとしたサウンドになっている。
* The Monochorome Set ([[1979年]]) Rough Trade アルバムの同曲はAdam&The Antsバリのドコドコとしたサウンドになっている。
* He's Frank (Slight Return) ([[1980年]]) Rough Trade
* He's Frank (Slight Return) ([[1980年]]) Rough Trade
* Strange Boutique ([[1980年]]) Din Disc
* Strange Boutique ([[1980年]]) Din Disc
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* Cast a long shadow ([[1982年]]) Cherry Red
* Cast a long shadow ([[1982年]]) Cherry Red
* Jet set Junta ([[1983年]]) Cherry Red
* Jet set Junta ([[1983年]]) Cherry Red
* Jacob's ladder ([[1985年]]) Blanco y negro (7インチ、12インチ)
* Jacob's ladder ([[1985年]]) Blanco y negro 7インチ、12インチ
* Wallflower ([[1985年]]) Blanco y negro (7インチ、12インチ)
* Wallflower ([[1985年]]) Blanco y negro 7インチ、12インチ
(解散)
解散


===アルバム===
===アルバム===
* Strange Boutique ([[1980年]]) Din Disc
* Strange Boutique ([[1980年]]) Din Disc
* Love Zombies ([[1980年]]) Din Disc
* Love Zombies ([[1980年]]) Din Disc
* Eligible bachelors ([[1982年]]) Cherry Red (日本版(邦題:カラフル・モノトーン)はジャケット・デザインが異なる)
* Eligible bachelors ([[1982年]]) Cherry Red 日本版(邦題:カラフル・モノトーン)はジャケット・デザインが異なる
* Volume, Contrast, Brilliance... ([[1983年]]) Cherry Red (コンピレーション・アルバム)
* Volume, Contrast, Brilliance... ([[1983年]]) Cherry Red コンピレーション・アルバム
* Lost Weekend ([[1985年]]) Blanco y negro
* Lost Weekend ([[1985年]]) Blanco y negro
(解散)
解散
* Fin! ([[1986年]]) Cherry Red (ライブ・アルバム)
* Fin! ([[1986年]]) Cherry Red ライブ・アルバム
* Westminster Affair ([[1988年]]) Cherry Red (コンピレーション・アルバム)
* Westminster Affair ([[1988年]]) Cherry Red コンピレーション・アルバム
(再結成)
再結成)
* Dante's Casino ([[1990年]]) Vinyl Japan
* Dante's Casino ([[1990年]]) Vinyl Japan
* Jack ([[1990年]]) Honeymoon
* Jack ([[1990年]]) Honeymoon
* What A Whopper ([[1991年]]) Cherry Red (コンピレーション・アルバム)
* What A Whopper ([[1991年]]) Cherry Red コンピレーション・アルバム
* The Good Life ([[1992年]]) Cherry Red (中身はFin!と同一)
* The Good Life ([[1992年]]) Cherry Red 中身はFin!と同一
* Colour Transmission ([[1993年]]) Din Disc (アルバムStrange BputiqueとLove Zombiesが1CDに)
* Colour Transmission ([[1993年]]) Din Disc アルバムStrange BputiqueとLove Zombiesが1CDに
* Charade ([[1993年]]) Cherry Red
* Charade ([[1993年]]) Cherry Red
* Misere ([[1994年]]) Cherry Red
* Misere ([[1994年]]) Cherry Red
* Black & White Minstrels ([[1995年]]) Cherry Red (デビュー前の初期の作品を含むコンピ)
* Black & White Minstrels ([[1995年]]) Cherry Red デビュー前の初期の作品を含むコンピ
* Tomorrow Will Be Too Long ([[1995年]]) Din Disc (Colour Transmissionのジャケ違い)
* Tomorrow Will Be Too Long ([[1995年]]) Din Disc Colour Transmissionのジャケ違い
* Trinity Road ([[1995年]]) Cherry Red
* Trinity Road ([[1995年]]) Cherry Red
*Platinum Coils ([[2012年]]) Rough Trade
* Platinum Coils ([[2012年]]) Rough Trade


==関連項目==
==脚注==
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*[[ニューウェーヴ]]
*[[ポストパンク]]


==参考文献==
==参考文献==
* 大谷英之編『80'sギター・ポップ・ディスク・ガイド』[[シンコーミュージック・エンタテイメント]]〈シンコー・ミュージック・ムック CROSSBEAT Presents〉、2013年12月1日、84‐89頁。ISBN 978-4-401-63917-5
* 大鷹俊一監修『ミュージック・マガジン4月増刊号 ブリット・ポップへの道』ミュージック・マガジン〈CD BEST 100〉、1997年4月25日、138頁。T 1108480041205


==脚注==
==関連項目==
* [[ニューウェーヴ]]
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* [[ポストパンク]]


==外部リンク==
==外部リンク==
[http://www.themonochromeset.co.uk/ The Official Monochrome Set Site]


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2018年6月19日 (火) 19:21時点における版

モノクローム・セット
「The Monochrome Set」2016年 ドイツ「Club W71」にて
基本情報
別名 ザ・モノクローム・セット
出身地 イングランドの旗 イングランド ロンドン
ジャンル ポストパンク
ニュー・ウェイヴ
ネオ・アコースティック
ギターポップ
活動期間 1978年 - 1985年
1990年 - 1998年
2008年 -
レーベル ラフ・トレード、ディン・ディスク、チェリーレッドブランコ・イ・ネグロワーナー・ブラザース
共同作業者 (A&R など)
マイク・オールウェイ[1]
(関連バンド)
アダム&ジ・アンツ
ウッド・ビィ・グッズ
インヴィジブル
スカーレッツ・ウェル
公式サイト The Official Monochrome Set Site
メンバー ビド
アンディー・ウォーレン
Mike Urban
John Paul Moran
旧メンバー
レスター・スクエア
J.D.ヘイニー
トニー・ポッツ
Jeremy Harrington
Philip Morris
レキシントン・クレイン
Orson Presence
キャリー・ブース
ニコラス・ウェロソフスキ
ジェイムス・フォスター
Jennifer Denitto
Steve Brummel

モノクローム・セット(The Monochrome set) は、イギリスロックニュー・ウェーヴ・バンド。 1979年に、ロンドンインディーズレーベル、ラフ・トレード[2]からデビューした。

概要

古い音楽を否定する空気であった1970年代後半のパンク・ロック・ムーブメントの時代にも、英国ポップスの伝統を受け継ぎ、ねじれたセンスと軽妙洒脱なサウンドを持った[3]。 のちにネオ・アコースティックギターポップの元祖の一つとして位置付けられるようになるが、サイケ映画サントラエスニック(リーダーのビド(Bid)はインドとアメリカのハーフ)など、様々なジャンルを吸収した一筋縄ではいかないロック・サウンドを展開している[4]

アンディー・ウォーホルは彼等のサウンドについて「ベンチャーズヴェルヴェット・アンダーグラウンドを足して2で割った様」だと評した[1]。 また、Monochrome setとは白黒テレビを意味する[1]

歴史

結成は1978年であり、紆余曲折を経て1979年に以下のメンバーに至った。 B-サイズ(後のアダム&ジ・アンツ)に在籍していたビド(vo)(Bid)、レスター・スクェア(g)(Lester Square)、アンディー・ウォーレン(b)(Andy Warren)の3人と、元アート・アタックスのJ.D.ヘイニー(ds)(J.D.Haney)、トニー・ポッツ(Film)(Tony Potts)が初期(最盛期)の主なメンバーである[1]。 1980年には、ヴァージン・レコード系DinDiscから、Bob Sargeantによって制作されたアルバム「ストレンジ・ブティック」を発表した。それは1980年にアルバム・チャートのNo.62に達した。彼らのフォローアップ活動であるLove Zombiesは、同年後半にアルヴィン・クラークとバンドによって結成された。Haneyは1981年にバンドを去り、Lexington Craneに交代した。

1982年、バンドはCherry Redにレーベルを切り替えて、Tim Hartによって制作されたサード・アルバム「Eligible Bachelors」をリリースした[5]。スクエアとクレインはすぐに脱退し、キーボードのキャリー・ブースとドラマー、ニコラス・ヴェロソフスキに交代した。 このラインナップは、ブースが新しいリード・ギタリストのジェームス・フォスター(後にDavid Devant&His Spirit Wife)に代わる前に、Cherry Redのために1982年にシングル「キャスト・ア・ロング・シャドウ」を収録した。

1983年、Cherry Redは、初期のRough Tradeシングル、BBCとCapital Radioのセッション、未発表の初期セッションの回顧録、Volume、Contrast、Brilliance ...をリリースした。 結局、彼らの所属レーベルは、ラフ・トレード、ヴァージン・レコード傘下のディン・ディスク(Din Disc)、プレ(Pre)、チェリー・レッドブランコ・イ・ネグロと転々としたが、グループは1985年に解散することとなった。 解散後ビドはソロ活動を行いラジ・カルテットと名乗りシングルもリリースした。 レスターはJesus Couldn't Drumのアルバム"Good Monornin' Lester Square"に参加したり、インヴィジブル (The Invisible) を結成した。 メンバーだった数名はウッド・ビィ・グッズ(Would be goods)のデビュー・アルバムのバックでも参加した。 1990年に再結成し、初来日(1990年7月)も果たした[1]。 その後も再来日した(川崎チッタでは丁度、節分の時期であったことから、麦わら帽子をかぶったレスターがステージで豆まきをおこなった)。1990年から1998年まで活動し、二度目の解散。2008年に再々結成し、三度目の活動を続けている。

ディスコグラフィ

シングル

  • Alphaville (1979年) Rough Trade ‐ アメリカ版のシングルはI.R.S.よりリリースされジャケットが異なっている ‐ バーコードが鉄格子のようにデフォルメされ、向こう側に人が居る。
  • Eine Symphonie Des Grauens (1979年) Rough Trade
  • The Monochorome Set (1979年) Rough Trade ‐ アルバムの同曲はAdam&The Antsバリのドコドコとしたサウンドになっている。
  • He's Frank (Slight Return) (1980年) Rough Trade
  • Strange Boutique (1980年) Din Disc
  • 405 Lines (1980年) Din Disc
  • Apocalypso (1980年) Din Disc
  • Ten Don't for honeymooners (1981年) Pre
  • The mating game (1982年) Cherry Red
  • Cast a long shadow (1982年) Cherry Red
  • Jet set Junta (1983年) Cherry Red
  • Jacob's ladder (1985年) Blanco y negro ‐ 7インチ、12インチ。
  • Wallflower (1985年) Blanco y negro ‐ 7インチ、12インチ。

(解散)

アルバム

  • Strange Boutique (1980年) Din Disc
  • Love Zombies (1980年) Din Disc
  • Eligible bachelors (1982年) Cherry Red ‐ 日本版(邦題:カラフル・モノトーン)はジャケット・デザインが異なる。
  • Volume, Contrast, Brilliance... (1983年) Cherry Red ‐ コンピレーション・アルバム。
  • Lost Weekend (1985年) Blanco y negro

(解散)

  • Fin! (1986年) Cherry Red ‐ ライブ・アルバム。
  • Westminster Affair (1988年) Cherry Red ‐ コンピレーション・アルバム。

(再結成)

  • Dante's Casino (1990年) Vinyl Japan
  • Jack (1990年) Honeymoon
  • What A Whopper (1991年) Cherry Red ‐ コンピレーション・アルバム。
  • The Good Life (1992年) Cherry Red ‐ 中身はFin!と同一。
  • Colour Transmission (1993年) Din Disc ‐ アルバムStrange BputiqueとLove Zombiesが1CDに。
  • Charade (1993年) Cherry Red
  • Misere (1994年) Cherry Red
  • Black & White Minstrels (1995年) Cherry Red ‐ デビュー前の初期の作品を含むコンピ。
  • Tomorrow Will Be Too Long (1995年) Din Disc ‐ Colour Transmissionのジャケ違い。
  • Trinity Road (1995年) Cherry Red
  • Platinum Coils (2012年) Rough Trade

脚注

参考文献

  • 大谷英之編『80'sギター・ポップ・ディスク・ガイド』シンコーミュージック・エンタテイメント〈シンコー・ミュージック・ムック CROSSBEAT Presents〉、2013年12月1日、84‐89頁。ISBN 978-4-401-63917-5
  • 大鷹俊一監修『ミュージック・マガジン4月増刊号 ブリット・ポップへの道』ミュージック・マガジン〈CD BEST 100〉、1997年4月25日、138頁。T 1108480041205

関連項目

外部リンク

The Official Monochrome Set Site