「モノクローム・セット」の版間の差分
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|名前 = モノクローム・セット |
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|画像 = The Monochrome Set 01.jpg |
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|画像説明 = 「The Monochrome Set」2016年 ドイツ「Club W71」にて |
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|別名 = ザ・モノクローム・セット |
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70年代後半の[[パンク・ロック]]・ムーブメントの時代に、ロンドンの[[インディーズ]]レーベル、[[ラフ・トレード・レコード|ラフ・トレード]]<ref>http://www.discogs.com/ja/label/51167-Rough-Trade</ref>からデビューした。[[サイケ|サイケデリック・ロック]]、[[エスニック]](リーダーのビド(Bid)はインドとアメリカのハーフ)など、様々なジャンルを吸収したロック・サウンドを展開している。 |
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1979年に、[[ロンドン]]の[[インディーズ]]レーベル、[[ラフ・トレード・レコード|ラフ・トレード]]<ref>http://www.discogs.com/ja/label/51167-Rough-Trade</ref>からデビューした。 |
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== 概要 == |
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古い音楽を否定する空気であった1970年代後半の[[パンク・ロック]]・ムーブメントの時代にも、英国ポップスの伝統を受け継ぎ、ねじれたセンスと軽妙洒脱なサウンドを持った<ref>大鷹(1997 p,138)</ref>。 |
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のちに[[ネオアコ|ネオ・アコースティック]]や[[ギターポップ]]の元祖の一つとして位置付けられるようになるが、[[サイケデリック・ロック|サイケ]]、[[サウンドトラック|映画サントラ]]、[[民族音楽|エスニック]](リーダーのビド(Bid)はインドとアメリカのハーフ)など、様々なジャンルを吸収した一筋縄ではいかないロック・サウンドを展開している<ref>{{Cite web |author=小野島大 |date=2016-05-15 |url=https://rockinon.com/disc/detail/142834 |title=英国風極上ひねくれポップ-『ヴォリューム、コントラスト、ブリリアンス・・・VOL.2 / アンリリースト・アンド・レア』モノクローム・セット| 洋楽 CD/EP新譜レビュー |website=音楽情報サイトrockinon.com |publisher=[[ロッキング・オン]] |accessdate=2018-06-17 }}</ref>。 |
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== 歴史 == |
== 歴史 == |
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結成は1978年であり、紆余曲折を経て1979年に以下のメンバーに至った。 |
結成は[[1978年]]であり、紆余曲折を経て1979年に以下のメンバーに至った。 |
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B-サイズ(後の[[アダム&ジ・アンツ]] |
B-サイズ(後の[[アダム&ジ・アンツ]])に在籍していたビド(vo)(Bid)、レスター・スクェア(g)(Lester Square)、アンディー・ウォーレン(b)(Andy Warren)の3人と、元アート・アタックスのJ.D.ヘイニー(ds)(J.D.Haney)、トニー・ポッツ(Film)(Tony Potts)が初期(最盛期)の主なメンバーである<ref name="80GP" />。 |
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1980年には、ヴァージン・レコード系DinDiscから、Bob Sargeantによって制作されたアルバム「ストレンジ・ブティック」を発表した。それは1980年にアルバム・チャートのNo. |
1980年には、[[ヴァージン・レコード]]系DinDiscから、Bob Sargeantによって制作されたアルバム「ストレンジ・ブティック」を発表した。それは1980年にアルバム・チャートのNo.62に達した。彼らのフォローアップ活動であるLove Zombiesは、同年後半にアルヴィン・クラークとバンドによって結成された。Haneyは1981年にバンドを去り、Lexington Craneに交代した。 |
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1982年、バンドはCherry Redにレーベルを切り替えて、Tim Hartによって制作されたサード・アルバム「Eligible Bachelors」をリリースした |
1982年、バンドは[[チェリーレッド・レコード|Cherry Red]]にレーベルを切り替えて、Tim Hartによって制作されたサード・アルバム「Eligible Bachelors」をリリースした<ref>{{Cite web |author=村尾 泰郎 |date=2006-11-22 |url=http://tower.jp/article/feature/2006/11/22/100035386/100035387/100035389 |title=WHEN THE PARTY IS OVER... 80年代初頭に一大ムーヴメントを起こしたネオアコってなんだ? |website=TOWER RECORDS ONLINE |publisher=[[タワーレコード]] |accessdate=2018-06-17 }}</ref>。スクエアとクレインはすぐに脱退し、キーボードのキャリー・ブースとドラマー、ニコラス・ヴェロソフスキに交代した。 このラインナップは、ブースが新しいリード・ギタリストのジェームス・フォスター(後にDavid Devant&His Spirit Wife)に代わる前に、Cherry Redのために1982年にシングル「キャスト・ア・ロング・シャドウ」を収録した。 |
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1983年、Cherry Redは、初期のRough Tradeシングル、BBCとCapital Radioのセッション、未発表の初期セッションの回顧録、Volume、Contrast、Brilliance ...をリリースした。 |
1983年、Cherry Redは、初期のRough Tradeシングル、BBCとCapital Radioのセッション、未発表の初期セッションの回顧録、Volume、Contrast、Brilliance ...をリリースした。 |
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結局、彼らの所属レーベルは、ラフ・トレード、[[ヴァージン・レコード]]傘下のディン・ディスク(Din Disc)、プレ(Pre)、[[チェリー・レッド・レコード|チェリー・レッド]]、[[ブランコ・イ・ネグロ・レコード|ブランコ・イ・ネグロ]]と転々としたが、グループは1985年に解散することとなった。 |
結局、彼らの所属レーベルは、ラフ・トレード、[[ヴァージン・レコード]]傘下のディン・ディスク(Din Disc)、プレ(Pre)、[[チェリー・レッド・レコード|チェリー・レッド]]、[[ブランコ・イ・ネグロ・レコード|ブランコ・イ・ネグロ]]と転々としたが、グループは1985年に解散することとなった。 |
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解散後ビドはソロ活動を行いラジ・カルテットと名乗りシングルもリリースした。 |
解散後ビドはソロ活動を行いラジ・カルテットと名乗りシングルもリリースした。 |
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レスターはJesus Couldn't Drumのアルバム"Good Monornin' Lester Square"に参加したり、イン |
レスターはJesus Couldn't Drumのアルバム"Good Monornin' Lester Square"に参加したり、インヴィジブル (The Invisible) を結成した。 |
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メンバーだった数名はWould be goodsのデビュー・アルバムのバックでも参加した。 |
メンバーだった数名はウッド・ビィ・グッズ(Would be goods)のデビュー・アルバムのバックでも参加した。 |
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[[1990年]]に再結成し、初来日 |
[[1990年]]に再結成し、初来日(1990年7月)も果たした<ref name="80GP" />。 |
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その後も |
その後も再来日した([[CLUB CITTA'|川崎チッタ]]では丁度、[[節分]]の時期であったことから、麦わら帽子をかぶったレスターがステージで[[豆まき]]をおこなった)。1990年から1998年まで活動し、二度目の解散。2008年に再々結成し、三度目の活動を続けている。 |
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==ディスコグラフィ== |
==ディスコグラフィ== |
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===シングル=== |
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* Alphaville ([[1979年]]) Rough Trade |
* Alphaville ([[1979年]]) Rough Trade ‐ アメリカ版のシングルは[[I.R.S.レコード|I.R.S.]]よりリリースされジャケットが異なっている ‐ バーコードが[[鉄格子]]のようにデフォルメされ、向こう側に人が居る。 |
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* Eine Symphonie Des Grauens ([[1979年]]) |
* Eine Symphonie Des Grauens ([[1979年]]) Rough Trade |
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* The Monochorome Set ([[1979年]]) Rough Trade アルバムの同曲はAdam&The Antsバリのドコドコとしたサウンドになっている。 |
* The Monochorome Set ([[1979年]]) Rough Trade ‐ アルバムの同曲はAdam&The Antsバリのドコドコとしたサウンドになっている。 |
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* He's Frank (Slight Return) ([[1980年]]) Rough Trade |
* He's Frank (Slight Return) ([[1980年]]) Rough Trade |
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* Strange Boutique ([[1980年]]) Din Disc |
* Strange Boutique ([[1980年]]) Din Disc |
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* Cast a long shadow ([[1982年]]) Cherry Red |
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* Jet set Junta ([[1983年]]) Cherry Red |
* Jet set Junta ([[1983年]]) Cherry Red |
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* Jacob's ladder ([[1985年]]) Blanco y negro |
* Jacob's ladder ([[1985年]]) Blanco y negro ‐ 7インチ、12インチ。 |
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* Wallflower ([[1985年]]) Blanco y negro |
* Wallflower ([[1985年]]) Blanco y negro ‐ 7インチ、12インチ。 |
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===アルバム=== |
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* Strange Boutique ([[1980年]]) Din Disc |
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* Love Zombies ([[1980年]]) Din Disc |
* Love Zombies ([[1980年]]) Din Disc |
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* Eligible bachelors ([[1982年]]) Cherry Red |
* Eligible bachelors ([[1982年]]) Cherry Red ‐ 日本版(邦題:カラフル・モノトーン)はジャケット・デザインが異なる。 |
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* Volume, Contrast, Brilliance... ([[1983年]]) Cherry Red |
* Volume, Contrast, Brilliance... ([[1983年]]) Cherry Red ‐ コンピレーション・アルバム。 |
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* Lost Weekend ([[1985年]]) Blanco y negro |
* Lost Weekend ([[1985年]]) Blanco y negro |
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* Fin! ([[1986年]]) Cherry Red |
* Fin! ([[1986年]]) Cherry Red ‐ ライブ・アルバム。 |
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* Westminster Affair ([[1988年]]) Cherry Red |
* Westminster Affair ([[1988年]]) Cherry Red ‐ コンピレーション・アルバム。 |
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* Dante's Casino ([[1990年]]) Vinyl Japan |
* Dante's Casino ([[1990年]]) Vinyl Japan |
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* Jack ([[1990年]]) Honeymoon |
* Jack ([[1990年]]) Honeymoon |
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* What A Whopper ([[1991年]]) Cherry Red |
* What A Whopper ([[1991年]]) Cherry Red ‐ コンピレーション・アルバム。 |
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* The Good Life ([[1992年]]) Cherry Red |
* The Good Life ([[1992年]]) Cherry Red ‐ 中身はFin!と同一。 |
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* Colour Transmission ([[1993年]]) Din Disc |
* Colour Transmission ([[1993年]]) Din Disc ‐ アルバムStrange BputiqueとLove Zombiesが1CDに。 |
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* Charade ([[1993年]]) Cherry Red |
* Charade ([[1993年]]) Cherry Red |
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* Misere ([[1994年]]) Cherry Red |
* Misere ([[1994年]]) Cherry Red |
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* Black & White Minstrels ([[1995年]]) Cherry Red |
* Black & White Minstrels ([[1995年]]) Cherry Red ‐ デビュー前の初期の作品を含むコンピ。 |
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* Tomorrow Will Be Too Long ([[1995年]]) Din Disc |
* Tomorrow Will Be Too Long ([[1995年]]) Din Disc ‐ Colour Transmissionのジャケ違い。 |
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* Trinity Road ([[1995年]]) Cherry Red |
* Trinity Road ([[1995年]]) Cherry Red |
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*Platinum Coils ([[2012年]]) Rough Trade |
* Platinum Coils ([[2012年]]) Rough Trade |
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==脚注== |
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==参考文献== |
==参考文献== |
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* 大谷英之編『80'sギター・ポップ・ディスク・ガイド』[[シンコーミュージック・エンタテイメント]]〈シンコー・ミュージック・ムック CROSSBEAT Presents〉、2013年12月1日、84‐89頁。ISBN 978-4-401-63917-5 |
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* 大鷹俊一監修『ミュージック・マガジン4月増刊号 ブリット・ポップへの道』ミュージック・マガジン〈CD BEST 100〉、1997年4月25日、138頁。T 1108480041205 |
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==関連項目== |
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==外部リンク== |
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[http://www.themonochromeset.co.uk/ The Official Monochrome Set Site] |
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2018年6月19日 (火) 19:21時点における版
モノクローム・セット | |
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「The Monochrome Set」2016年 ドイツ「Club W71」にて | |
基本情報 | |
別名 | ザ・モノクローム・セット |
出身地 | イングランド ロンドン |
ジャンル |
ポストパンク ニュー・ウェイヴ ネオ・アコースティック ギターポップ |
活動期間 |
1978年 - 1985年 1990年 - 1998年 2008年 - |
レーベル | ラフ・トレード、ディン・ディスク、チェリーレッド、ブランコ・イ・ネグロ、ワーナー・ブラザース |
共同作業者 |
(A&R など) マイク・オールウェイ[1] (関連バンド) アダム&ジ・アンツ ウッド・ビィ・グッズ インヴィジブル スカーレッツ・ウェル |
公式サイト | The Official Monochrome Set Site |
メンバー |
ビド アンディー・ウォーレン Mike Urban John Paul Moran |
旧メンバー |
レスター・スクエア J.D.ヘイニー トニー・ポッツ Jeremy Harrington Philip Morris レキシントン・クレイン Orson Presence キャリー・ブース ニコラス・ウェロソフスキ ジェイムス・フォスター Jennifer Denitto Steve Brummel |
モノクローム・セット(The Monochrome set) は、イギリスのロック、ニュー・ウェーヴ・バンド。 1979年に、ロンドンのインディーズレーベル、ラフ・トレード[2]からデビューした。
概要
古い音楽を否定する空気であった1970年代後半のパンク・ロック・ムーブメントの時代にも、英国ポップスの伝統を受け継ぎ、ねじれたセンスと軽妙洒脱なサウンドを持った[3]。 のちにネオ・アコースティックやギターポップの元祖の一つとして位置付けられるようになるが、サイケ、映画サントラ、エスニック(リーダーのビド(Bid)はインドとアメリカのハーフ)など、様々なジャンルを吸収した一筋縄ではいかないロック・サウンドを展開している[4]。
アンディー・ウォーホルは彼等のサウンドについて「ベンチャーズとヴェルヴェット・アンダーグラウンドを足して2で割った様」だと評した[1]。 また、Monochrome setとは白黒テレビを意味する[1]。
歴史
結成は1978年であり、紆余曲折を経て1979年に以下のメンバーに至った。 B-サイズ(後のアダム&ジ・アンツ)に在籍していたビド(vo)(Bid)、レスター・スクェア(g)(Lester Square)、アンディー・ウォーレン(b)(Andy Warren)の3人と、元アート・アタックスのJ.D.ヘイニー(ds)(J.D.Haney)、トニー・ポッツ(Film)(Tony Potts)が初期(最盛期)の主なメンバーである[1]。 1980年には、ヴァージン・レコード系DinDiscから、Bob Sargeantによって制作されたアルバム「ストレンジ・ブティック」を発表した。それは1980年にアルバム・チャートのNo.62に達した。彼らのフォローアップ活動であるLove Zombiesは、同年後半にアルヴィン・クラークとバンドによって結成された。Haneyは1981年にバンドを去り、Lexington Craneに交代した。
1982年、バンドはCherry Redにレーベルを切り替えて、Tim Hartによって制作されたサード・アルバム「Eligible Bachelors」をリリースした[5]。スクエアとクレインはすぐに脱退し、キーボードのキャリー・ブースとドラマー、ニコラス・ヴェロソフスキに交代した。 このラインナップは、ブースが新しいリード・ギタリストのジェームス・フォスター(後にDavid Devant&His Spirit Wife)に代わる前に、Cherry Redのために1982年にシングル「キャスト・ア・ロング・シャドウ」を収録した。
1983年、Cherry Redは、初期のRough Tradeシングル、BBCとCapital Radioのセッション、未発表の初期セッションの回顧録、Volume、Contrast、Brilliance ...をリリースした。 結局、彼らの所属レーベルは、ラフ・トレード、ヴァージン・レコード傘下のディン・ディスク(Din Disc)、プレ(Pre)、チェリー・レッド、ブランコ・イ・ネグロと転々としたが、グループは1985年に解散することとなった。 解散後ビドはソロ活動を行いラジ・カルテットと名乗りシングルもリリースした。 レスターはJesus Couldn't Drumのアルバム"Good Monornin' Lester Square"に参加したり、インヴィジブル (The Invisible) を結成した。 メンバーだった数名はウッド・ビィ・グッズ(Would be goods)のデビュー・アルバムのバックでも参加した。 1990年に再結成し、初来日(1990年7月)も果たした[1]。 その後も再来日した(川崎チッタでは丁度、節分の時期であったことから、麦わら帽子をかぶったレスターがステージで豆まきをおこなった)。1990年から1998年まで活動し、二度目の解散。2008年に再々結成し、三度目の活動を続けている。
ディスコグラフィ
シングル
- Alphaville (1979年) Rough Trade ‐ アメリカ版のシングルはI.R.S.よりリリースされジャケットが異なっている ‐ バーコードが鉄格子のようにデフォルメされ、向こう側に人が居る。
- Eine Symphonie Des Grauens (1979年) Rough Trade
- The Monochorome Set (1979年) Rough Trade ‐ アルバムの同曲はAdam&The Antsバリのドコドコとしたサウンドになっている。
- He's Frank (Slight Return) (1980年) Rough Trade
- Strange Boutique (1980年) Din Disc
- 405 Lines (1980年) Din Disc
- Apocalypso (1980年) Din Disc
- Ten Don't for honeymooners (1981年) Pre
- The mating game (1982年) Cherry Red
- Cast a long shadow (1982年) Cherry Red
- Jet set Junta (1983年) Cherry Red
- Jacob's ladder (1985年) Blanco y negro ‐ 7インチ、12インチ。
- Wallflower (1985年) Blanco y negro ‐ 7インチ、12インチ。
(解散)
アルバム
- Strange Boutique (1980年) Din Disc
- Love Zombies (1980年) Din Disc
- Eligible bachelors (1982年) Cherry Red ‐ 日本版(邦題:カラフル・モノトーン)はジャケット・デザインが異なる。
- Volume, Contrast, Brilliance... (1983年) Cherry Red ‐ コンピレーション・アルバム。
- Lost Weekend (1985年) Blanco y negro
(解散)
(再結成)
- Dante's Casino (1990年) Vinyl Japan
- Jack (1990年) Honeymoon
- What A Whopper (1991年) Cherry Red ‐ コンピレーション・アルバム。
- The Good Life (1992年) Cherry Red ‐ 中身はFin!と同一。
- Colour Transmission (1993年) Din Disc ‐ アルバムStrange BputiqueとLove Zombiesが1CDに。
- Charade (1993年) Cherry Red
- Misere (1994年) Cherry Red
- Black & White Minstrels (1995年) Cherry Red ‐ デビュー前の初期の作品を含むコンピ。
- Tomorrow Will Be Too Long (1995年) Din Disc ‐ Colour Transmissionのジャケ違い。
- Trinity Road (1995年) Cherry Red
- Platinum Coils (2012年) Rough Trade
脚注
- ^ a b c d e 大谷(2013 pp, 84-85)
- ^ http://www.discogs.com/ja/label/51167-Rough-Trade
- ^ 大鷹(1997 p,138)
- ^ 小野島大 (2016年5月15日). “英国風極上ひねくれポップ-『ヴォリューム、コントラスト、ブリリアンス・・・VOL.2 / アンリリースト・アンド・レア』モノクローム・セット| 洋楽 CD/EP新譜レビュー”. 音楽情報サイトrockinon.com. ロッキング・オン. 2018年6月17日閲覧。
- ^ 村尾 泰郎 (2006年11月22日). “WHEN THE PARTY IS OVER... 80年代初頭に一大ムーヴメントを起こしたネオアコってなんだ?”. TOWER RECORDS ONLINE. タワーレコード. 2018年6月17日閲覧。
参考文献
- 大谷英之編『80'sギター・ポップ・ディスク・ガイド』シンコーミュージック・エンタテイメント〈シンコー・ミュージック・ムック CROSSBEAT Presents〉、2013年12月1日、84‐89頁。ISBN 978-4-401-63917-5
- 大鷹俊一監修『ミュージック・マガジン4月増刊号 ブリット・ポップへの道』ミュージック・マガジン〈CD BEST 100〉、1997年4月25日、138頁。T 1108480041205