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2017年1月23日 (月) 13:15時点における版
ジョヴァンニ・ドメニコ・カッシーニ(伊: Giovanni Domenico Cassini、1625年6月8日 - 1712年9月14日)は、イタリア出身のフランスの天文学者。パリ天文台の初代台長でもあった。ジェノヴァ共和国のペリナルドで生まれ、1673年にフランスに帰化してジャン=ドミニク・カッシーニ[1]と名乗った。土星の4つの衛星を発見したほか、惑星観測で様々な功績を残している。
- 1665年 - 木星の自転周期を算出。
- 1668年 - 木星の4衛星の運行表を作成。
- 1671年 - 土星の衛星イアペトゥスを発見。
- 1672年 - 土星の衛星レアを発見。
- 1675年 - 土星の輪は複数の輪で構成されていることを発見(一番外側の隙間にはカッシーニの間隙と名付けられた)。
- 1680年 - 月面図を作成。
- 1684年 - 土星の衛星ディオネを発見。
- 同上年 - 土星の衛星テティスを発見。
1997年に打ち上げられたNASAの土星探査機カッシーニ、月面のクレーターと火星のクレーターの名前が、彼にちなんで命名された。
天文学
カッシーニはパンザノの天文台に1648年から1669年まで勤めた。ボローニャ大学で天文学を教え、1671年にパリ天文台の天文台長になった。彼は新しい国になじむためジャン=ドミニク・カッシーニと名乗り、後にはこの名で呼ばれる方が多くなった。
ロバート・フックによれば、1665年までに木星の大赤斑を発見した。また、土星の4つの衛星を発見し、カッシーニの間隙の発見者(1675年)、木星の大気の差動回転の発見者でもある。
1672年、ギアナのカイエンヌにジャン・リシェを送り、パリでの観測結果との視差から地球と太陽間の距離を計測し、それを元に太陽系の大きさを計算する。
またカッシーニは、ガリレオ・ガリレイの提唱による木星の衛星の食を利用する方法により、はじめて本格的な経度の計測に成功した。
若い頃は天文学よりも占星術に興味を持っており、その頃学んだ占星術の知識が天文学への興味のきっかけとなったが、後に独力で天文学的な発見を多くしつつ、占星術を公然と批判するようになった。
なお、子孫は息子のジャック・カッシーニをはじめとして、4代にわたってパリ天文台の台長を務めた。