「再臨待望運動」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
2行目: 2行目:
{{プロテスタント}}
{{プロテスタント}}


'''再臨待望運動'''(さいりんたいぼううんどう、Adventism)とは、[[イエス・キリスト]]の[[再臨]]を待望(アドベント)する運動であ。彼らはアドヴェンティスト(Adventist)と呼ばれ、[[ウィリアム・ミラー]]の伝統の線にある。運動中最大教派は[[セブンスデー・アドベンチスト教会]]である
'''再臨待望運動'''(さいりんたいぼううんどう、Adventism)とは、[[イエス・キリスト]]の[[再臨]]を待望(アドベント)した運動であり、19世紀前半に起こった第2次再臨待望運動を背景として、[[セブンスデー・アドベンチスト教会]]が起こった。彼らはアドヴェンティスト(Adventist)と呼ばれ、[[ウィリアム・ミラー]]の伝統の線にある。ミラーはキリスト再臨を1843年と特定し、再臨待望集会は100以上場所で開かれ、熱狂的な雰囲気であった。しかし1844年になっても再臨起こらなかったため、待っていた人々の失望は大きく、グループからの離脱者も少なくなかった。その後、[[セブンスデー・アドベンチスト教会]]はキリストは天の聖所に1843年に再臨したの、預言が成就したと説明した<ref>[[尾形守]]『[[異端見分けハンドブック]]』プレイズ出版</ref>

[[霊魂消滅説]]を採る。


{{DEFAULTSORT:さいりんたいほううんとう}}
{{DEFAULTSORT:さいりんたいほううんとう}}

2016年12月23日 (金) 13:49時点における版

再臨待望運動(さいりんたいぼううんどう、Adventism)とは、イエス・キリスト再臨を待望(アドベント)した運動であり、19世紀前半に起こった第2次再臨待望運動を背景として、セブンスデー・アドベンチスト教会が起こった。彼らはアドヴェンティスト(Adventist)と呼ばれ、ウィリアム・ミラーの伝統の線にある。ミラーはキリストの再臨を1843年と特定し、再臨待望集会は100以上の場所で開かれ、熱狂的な雰囲気であった。しかし1844年になっても再臨は起こらなかったため、待っていた人々の失望は大きく、グループからの離脱者も少なくなかった。その後、セブンスデー・アドベンチスト教会はキリストは天の聖所に1843年に再臨したので、預言が成就したと説明した[1]

  1. ^ 尾形守異端見分けハンドブック』プレイズ出版