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2016年6月1日 (水) 08:23時点における版
2011年12月、マディソン・スクエア・ガーデンにて | |
基本情報 | |
---|---|
本名 | ブランドン・リー・リオス |
通称 | Bam Bam |
階級 | ウェルター級 |
身長 | 173cm |
リーチ | 173cm |
国籍 | アメリカ合衆国 |
誕生日 | 1986年4月29日(38歳) |
出身地 | テキサス州ラボック |
スタイル | オーソドックス |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 37 |
勝ち | 33 |
KO勝ち | 24 |
敗け | 3 |
引き分け | 1 |
ブランドン・リオス(Brandon Rios、男性、1986年4月29日 - )は、アメリカ合衆国のプロボクサー。テキサス州ラボック出身。第39代WBA世界ライト級王者。ボブ・アラムのトップランク所属。トレーナーは元IBF世界スーパーフェザー級王者ロベルト・ガルシア。世界タイトルマッチで2度体重超過をしている。「ボクシングはセックスより良い、ボクシングは俺にとってオーガズムだ」[1]と話すぐらいのボクシング好き。
来歴
父親は屠畜場で働いていおりリオスは生き方について大きな影響を受けたと語っている[2]。リオスは若いころ非常に荒れており、高校を喧嘩で退学、喧嘩、盗み、飲酒で数え切れないほど逮捕されたと自身で語っている[2]。2010年8月に現在の妻と結婚、2人の連れ子を含めて4人の子供がいる。
アマチュア時代
2003年、ナショナル・ゴールデン・グローブに出場するが準々決勝でミッキー・ベイに敗退[3]。
2004年、全米選手権にフェザー級(57kg)で出場し優勝[4]。ナショナル・ゴールデン・グローブに出場するが準々決勝で敗退[5]。アテネオリンピック国内予選選考会を勝ち抜くが[6]、国内最終選考会でミッキー・ベイに敗退した[7]。
アマチュアの戦績は230勝35敗。
プロ時代
2004年7月23日、プロデビュー戦を3回TKO勝ち。以後、1度の引き分けを挟み24連勝。この頃にリオスの当時のガールフレンドにちょっかいをかけてきた男を殴ってしまい、顎を骨折させ、暴行罪で刑務所で3ヶ月を過ごしている[2]。
2009年10月、トップランクと契約。
2010年2月6日、ホルヘ・ルイス・テロン(アメリカ)と空位のNABF北米ライト級王座を争い、3回TKO勝ちを収めて王座を獲得した。
2010年9月11日、WBA世界ライト級王座挑戦権を懸けてWBA同級2位のアンソニー・ピーターソン(アメリカ)と戦い、7回終了時に失格勝ちで挑戦権を獲得した。なお、ピーターソンはプロ初黒星となった[8]。
2010年11月、マニー・パッキャオのトレーナーでパーキンソン病を患っているフレディ・ローチの物真似をして物議を醸した(後日ローチに直接謝罪)。
2011年2月26日、ラスベガスのパームス内ザ・パールでWBA世界ライト級王者ミゲル・アコスタ(ベネズエラ)に指名挑戦者として挑戦し、合計3度のダウンを奪った末に最後はアコスタ陣営のタオル投入のストップによる10回TKO勝ちを収めて、無敗のまま世界王座奪取に成功した[9]。
2011年7月9日、カリフォルニア州のホーム・デポ・センター・テニスコートで、ウルバノ・アンティロン(メキシコ)と戦い、3回2分39秒TKO勝利で初防衛に成功した。
2011年12月3日、マディソン・スクエア・ガーデンにてミゲール・コット対アントニオ・マルガリートの前座でジョン・マレー(イギリス)との防衛戦を行うはずだったが前日計量で体重超過のために王座を剥奪された[10]、試合には11回TKO勝ち[11]。
2012年4月14日、ラスベガスのマンダレイ・ベイ・イベント・センターにおいてWBA世界ライト級暫定王者リカルド・アブリル(キューバ)とWBA世界ライト級王座決定戦を行うも、前日軽量でリオスに体重超過があり失格となっていた為、アブリルが勝った時のみ新王者になるという条件での試合となり、リオスが12回2-1(111-117、116-112、115-113)の判定勝ちを収めた為、WBA世界ライト級暫定王座も空位となったかに思われたが、WBAが後日その試合を検証し、同年4月16日、正規王者を空位のままにし、アブリルに暫定王者を差し戻すことを明らかにした[12]。
2012年10月13日、カリフォルニア州のホーム・デポ・センター・テニスコートで、ノニト・ドネア対西岡利晃の前座で登場。WBO世界スーパーライト級1位のマイク・アルバラード(アメリカ)とWBOラテンアメリカスーパーライト級王座決定戦で対戦、1Rから凄まじい殴り合いを繰りひろげ、アルバラードがペースをつかみ優勢に進めるが、7回、リオスの右が炸裂。膝が揺れたアルバラードに襲い掛かったリオスが、数発クリーンヒットを決めたところでレフェリーが割って入りストップ。7回1分57秒TKOの逆転勝利。無敗対決を制した[13]。
2013年3月30日、ラスベガスのマンダレイ・ベイ・イベント・センターでWBO世界スーパーライト級2位のマイク・アルバラードとWBO世界スーパーライト級暫定王座決定戦を行い、5ヵ月ぶりの再戦で雪辱を許すと共にプロ初黒星となる12回0-3(2者が113-115、113-114)の判定負けを喫し王座獲得に失敗した[14]。
2013年11月23日、マカオにあるザ・ベネチアン・マカオ内コタイ・アリーナにて、WBOが新たに設立したWBOインターナショナルウェルター級王座を賭け、元世界6階級制覇王者マニー・パッキャオと対戦したが終始パッキャオにペースを握られ12回0-3(108-120、109-119、110-118)の大差判定負けを喫した[15]。リオスは「正直言って、パッキャオのパンチ力はほとんど感じなかったな。アルバラードのパンチのほうが強かったよ。パッキャオのスピードとやりにくさにやられちまったな。」と述べた[16]。試合後のドーピング薬物検査でリオスから興奮剤が検出され出場停止処分が課せられた[17]。薬物検査団体のVADAによって通常より厳しいドーピング薬物検査が行われていた。
2014年8月2日、ザ・コスモポリタン内チェルシー・ボール・ルームで元WBA世界ウェルター級王者ディエゴ・ガブリエル・チャベスとウェルター級契約10回戦を行う。しかし荒れた試合展開となり、3回にホールディングでチャベスが減点、5回にテイクダウンをしたとしてリオスが減点、8回にはリオスの顔に酷くグローブを押し付けたとしてチャベスから2度目の減点、9回にはプロレス技のDDTのような状態で両者がマットへ倒れこみ、ここでの減点は無かったが、それまでにもレフェリーはバッティングやエルボーなどで両者に再三注意を与えていたことで、再び両者がもみ合ったところでチャベスの反則負けを宣言し、すっきりしない終わり方ながらもリオスは9回1分26秒失格勝ちを収め、2連敗の後の再起に成功した[18]。試合終了時の採点は、75-74で2者がチャベス、75-74で1者がリオスと1ポイントながらチャベスがリードしていた。なお、入国システムの不調が原因で入国ビザの発給が遅れたことで、アルゼンチンから15時間のフライトを経て試合2日前にようやくチャベスがアメリカ入りをするなど、試合前からドタバタがみられた[19]。
2015年1月24日、コロラド州ブルームフィールドでマイク・アルバラードと3度目の対戦。初回から一方的にパンチを当て続け、3ラウンド終了後にコーナーでアルバラードがリングドクターが示した指の本数を数えられなかった事でレフェリーストップ勝ちを収めた[20][21]。
2015年2月10日、WBOは最新ランキングを発表し、上述のアルバラード戦の勝利が評価され、リオスはWBO世界ウェルター級3位にランクインすると共にWBOの2015年2月度の月間MVPに選出された[22][23]。
2015年11月7日、ラスベガスのトーマス&マック・センターでWBO世界ウェルター級王者ティモシー・ブラッドリーと対戦し9回に2度ダウンを奪われ9回2分49秒TKO負けを喫し2階級制覇に失敗した[24]。試合後の記者会見で、「俺の体は以前と同じじゃ無くなった。多くの激闘を経験した。もう辞める時だと思う。これ以上戦えるとは思えない。引退する時だ。」と発言し、引退を表明した[25]。
獲得タイトル
脚注
- ^ “Boxing is better than sex – Rios”. Manila Bulletin (2013年11月5日). 2013年11月18日閲覧。
- ^ a b c “Brandon Rios won't back down against Manny Pacquiao”. Los Angeles Times (2013年11月19日). 2013年11月19日閲覧。
- ^ “76.US National Golden Gloves - Las Vegas - May 26-31 2003”. Amateur.Boxing.Strefa.pl. 2013年12月1日閲覧。
- ^ “114.Unites States National Championships Colorado Springs January 13-17, 2004”. Amateur.Boxing.Strefa.pl. 2013年12月1日閲覧。
- ^ “77.US National Golden Gloves Kansas City May 3-8, 2004”. Amateur.Boxing.Strefa.pl. 2013年12月1日閲覧。
- ^ “US Olympic Trials Tunica February 17-21, 2004”. Amateur.Boxing.Strefa.pl. 2013年12月1日閲覧。
- ^ “US Olympic Box-Offs Cleveland February 27-29, 2004”. Amateur.Boxing.Strefa.pl. 2013年12月1日閲覧。
- ^ ダウン応酬 ガンボア判定勝ちで王座統一 A&Fフェザー級 ボクシングニュース「Box-on!」 2010年9月12日
- ^ リオス劇的ベルト奪取 WBAライト級 ボクシングニュース「Box-on!」 2011年2月27日
- ^ “Brandon Rios of Oxnard has WBA lightwight belt stripped”. ロサンゼルス・タイムズ (2011年12月2日). 2012年1月11日閲覧。
- ^ “John Murray loses world title fight to Brandon Rios”. BBCスポーツ (2011年12月4日). 2012年1月11日閲覧。
- ^ リオス判定に救われる アブリールに辛勝 ボクシングニュース「Box-on!」2012年4月15日
- ^ 激闘! リオス、アルバラードをTKO ボクシングニュース「Box-on!」 2012年10月14日
- ^ アルバラード、リオスに雪辱 3-0判定勝ち ボクシングニュース「Box-on!」 2013年3月31日
- ^ パッキャオ、リオスに大差判定勝ち Boxing News(ボクシングニュース) 2013年11月24日
- ^ “Brandon Rios: Alvarado Stung Me More Than Pacquiao”. BoxingScene.com (2013年11月25日). 2014年1月3日閲覧。
- ^ “Brandon Rios tests positive for banned substance following loss to Manny Pacquiao”. Yahoo.Sports (2013年12月13日). 2014年1月3日閲覧。
- ^ リオス不満残る反則勝ち、バルガス初防衛 Boxing News(ボクシングニュース) 2014年8月3日
- ^ “Brandon Rios prevails by DQ”. ESPN.com (2014年8月3日). 2014年8月3日閲覧。
- ^ “Bob Arum Admits: Mike Alvarado Had Nothing, Zero”. BoxingScene.com (2015年1月25日). 2015年1月25日閲覧。
- ^ リオスがアルバラードに圧勝、ラミレス判定勝利 Boxing News(ボクシングニュース) 2015年1月25日
- ^ WBO RANKING FEBRUARY 2015 WBO公式サイト 2015年2月10日
- ^ 小原佳太が4.13登場、3.1韓国興行は中止に Boxing News(ボクシングニュース) 2015年2月15日
- ^ ブラッドリーがリオスをTKO、WBOウェルター級防衛 Boxing News(ボクシングニュース) 2015年11月8日
- ^ “Brandon Rios Officially Retires From Boxing”. Boxing Scene.com (2015年11月8日). 2015年11月19日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 公式サイト
- ブランドン・リオス (BAMBAMBRANDONRIOS) - Facebook
- ブランドン・リオス (@Brandon_Rios1) - X(旧Twitter)
- ブランドン・リオスの戦績 - BoxRec(英語)
前王者 ミゲル・アコスタ |
第39代WBA世界ライト級王者 2011年2月26日 - 2011年12月3日(剥奪) |
空位 次タイトル獲得者 リカルド・アブリル |