「有馬氏久」の版間の差分
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*『[[寛政重修諸家譜]]』巻第四百七十 |
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2016年5月4日 (水) 14:49時点における版
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 元禄12年(1699年) |
死没 | 明和8年2月26日(1771年4月10日) |
別名 | 六左衛門 |
戒名 | 賢道義英覚源院 |
墓所 | 東京都渋谷区広尾の祥雲寺 |
官位 | 従五位下、備後守。 |
藩 | 伊勢西条藩主 |
氏族 | 摂津有馬氏 |
父母 |
父:渡辺泰綱、母:某氏 養父:有馬氏倫 |
妻 | 正室:堀親賢の娘 |
子 | 娘(有馬光隆正室のち黒田直亨正室)、娘(倉橋久知室)、光隆、氏恒、氏房 |
有馬 氏久(ありま うじひさ)は、江戸時代中期の大名。伊勢西条藩の第2代藩主。氏倫系有馬家2代。
生涯
紀州藩士渡辺泰綱の子として紀伊国和歌山に生まれ、同藩士有馬氏倫(のちに西条藩初代藩主)の養子となる。父の渡辺恭綱は伊予西条松平家初代松平頼純(徳川家康の孫)の長男であるので、氏久は家康の玄孫に当たる。
享保2年(1717年)6月12日、将軍徳川吉宗に初謁する。享保8年(1723年)3月晦日に御小納戸役となる。享保19年(1735年)12月18日、従五位下備後守に叙せられる。なお、この間の享保11年(1726年)、養父の氏倫は加増によって大名に列している。
享保20年(1735年)1月に氏倫の死去により家督を継ぐ。元文元年(1736年)2月3日に正式に遺領を継いで西条藩主となり、伺候席を菊間広縁に定められた。元文5年(1740年)6月20日には大番頭となる。宝暦8年(1758年)6月12日に大番頭を辞し、宝暦9年(1759年)6月2日に家督を養嗣子の氏恒に譲って隠居した。明和8年(1771年)2月26日、73歳で死去した。
系譜
正室は堀親賢(飯田藩第4代藩主)の娘。『寛政重修諸家譜』には実子として、正室所生の女子2人、側室所生の女子2名と男子2名(幸次郎、氏房)を記載している。
延享2年(1745年)、建部政周(播磨林田藩第4代藩主)の子・光隆を養嗣子とし、正室所生の長女を娶せたが、寛延2年(1749年)に廃嫡している。養子縁組解消後、長女は黒田直亨(上総久留里藩第2代藩主)に再嫁した。
光隆に代わり、寛延2年(1749年)に堀親蔵(信濃飯田藩第6代藩主。正室の兄)の子・氏恒を養嗣子に迎えている。堀家と有馬家との関係は深く、正室所生の次女は外祖母・春台院(津軽信政の娘、堀親賢の正室)の養女となっている(のちに倉橋内匠助久知の室となった)。
宝暦7年(1757年)に実子の氏房が生まれている。氏房はのちに氏恒の養子として家督を継ぎ、第4代藩主となっている。
脚注
参考文献
- 『寛政重修諸家譜』巻第四百七十