堀親蔵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

堀 親蔵(ほり ちかただ、正徳5年12月18日1716年1月12日) - 延享3年2月13日1746年4月3日))は、信濃飯田藩の第6代藩主。信濃飯田藩堀家7代。

第4代藩主堀親賢の次男。母は井上甚五左衛門の娘(自涼院)。正室は加藤嘉矩の娘。子は堀親長(長男)、堀親豊(次男)、座光寺為明(三男)、有馬氏恒(四男)、堀親褒(五男)、安西親表(七男)、遠藤常郷(九男)、娘(戸田氏之正室のち石川総恒継々室)、娘(近藤政方正室のち藤枝教忠室)、娘(小笠原長孝室)、娘(竹内惟久室)。幼名・興之丞。官位は従五位下、右衛門佐、美作守、大和守。

享保13年(1728年)、兄で5代藩主の親庸が跡継ぎを儲けぬまま死去したため、養子となって家督を相続した。延享3年(1746年)死去した。跡を長男の親長が継いだ。