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「レー (詩形)」の版間の差分

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『浜辺のレー』の部分の訂正(韻文訳ではない、マリー・ド・フランスを「フランス」と称しない、浜辺のレーはマリー作ではない、「古ノルド語」など)
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あるいは「語りのレー (narrative lay) 」とも呼ばれる。[[中世フランス語]]や[[古英語]]による恋愛文学の形式をさす。レーは恋愛や[[騎士道]]を扱った韻文で、短く(600~1000文)、しばしば超自然的な、[[ケルト人|ケルト]]風の[[妖精]]の世界のモチーフが含まれている。
あるいは「語りのレー (narrative lay) 」とも呼ばれる。[[中世フランス語]]や[[古英語]]による恋愛文学の形式をさす。レーは恋愛や[[騎士道]]を扱った韻文で、短く(600~1000文)、しばしば超自然的な、[[ケルト人|ケルト]]風の[[妖精]]の世界のモチーフが含まれている。


文章として残された最古の「語りのレー」は、おそらく『[[マリー・ド・フランスのレー]]』であろう。おそらくこれは、[[12世紀]]後半から[[13世紀]]初頭に[[イングランド王国|イングランド]]に過ごしたフランスの女性詩人[[マリー・ド・フランス (詩人)|マリー・ド・フランス]]によって、1170年代に構成されたと考えられている。彼女のレーや、13世紀フランスのいくつかの無名のレーにおける記述から、初期のレーがケルト起源であり、文体においてはより叙情的で[[ブルターニュ]]の[[ミンストレル]]が口ずさんだことがうかがわれる。これらブルターニュの「叙情的なレー」は、一つとして現存していないが、歌曲のレーに道を開いたそれらの要約によって紹介され、なおかつ「語りのレー」の基礎となった。フランスの20ほどのレーの一つである『浜辺のレー』は、13世紀に古ノルウェー語の韻文に訳された。
文章として残された最古の「語りのレー」は、おそらく『[[マリー・ド・フランスのレー]]』であろう。おそらくこれは、[[12世紀]]後半から[[13世紀]]初頭に[[イングランド王国|イングランド]]に過ごしたフランスの女性詩人[[マリー・ド・フランス (詩人)|マリー・ド・フランス]]によって、1170年代に構成されたと考えられている。彼女のレーや、13世紀フランスのいくつかの無名のレーにおける記述から、初期のレーがケルト起源であり、文体においてはより叙情的で[[ブルターニュ]]の[[ミンストレル]]が口ずさんだことがうかがわれる。これらブルターニュの「叙情的なレー」は、一つとして現存していないが、歌曲のレーに道を開いたそれらの要約によって紹介され、なおかつ「語りのレー」の基礎となった。

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ブルターニュで書かれた最初のレーは、中世フランスのさまざまな[[方言]]に置き換えられ、13世紀から[[14世紀]]には[[中世英語]]によっても再構成された。
ブルターニュで書かれた最初のレーは、中世フランスのさまざまな[[方言]]に置き換えられ、13世紀から[[14世紀]]には[[中世英語]]によっても再構成された。
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==参照項目==
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2012年12月3日 (月) 06:42時点における版

レー(仏語:lai、複数形lais)は、13世紀から14世紀後半にかけてアルプス以北のヨーロッパで作曲された歌曲(または歌詞)の形式のこと。中世のフランスで成立し、ドイツに入って「ライヒ(独語:Leich)」と呼ばれた。中世プロヴァンスにはデスコルトdescort )と呼ばれる、レーに非常によく似た詩形がある。

レー

レーの詩形は、通常いくつかのスタンザからなるが、各連が同じ形式を取ることはない。結果として音楽には反復がなくなる。この特徴ゆえに、レーを他の同時期の音楽的に重要な詩形(たとえばロンドーやバラード)と見分けることは容易である。14世紀においてレーの発展が終わるまでには、スタンザの反復されるレーも数例見受けられるようになったが、あくまで長詩において見られるに過ぎない。レーの末期の例として、アジャンクールの戦いにおけるフランス軍の敗走を偲んだ、ピエール・ド・ネソンによる『戦いのレー(Lay de la guerre)』(1415年)があげられるが、その旋律は伝承されていない。

フォーヴェル物語』には4つのレーが存在し、いずれも作者不詳である。これらのレーは、文学的にも音楽的にも、ギヨーム・ド・マショーの作品と同じ高みに到達している。このほかに、14世紀アルス・ノヴァの作曲家による別々の19例が現存しており、そのいずれもが、最も洗練され、かつ高度に発達した世俗歌曲に数えることができる。

主要なレー作家

ブルターニュのレー(Breton lai

あるいは「語りのレー (narrative lay) 」とも呼ばれる。中世フランス語古英語による恋愛文学の形式をさす。レーは恋愛や騎士道を扱った韻文で、短く(600~1000文)、しばしば超自然的な、ケルト風の妖精の世界のモチーフが含まれている。

文章として残された最古の「語りのレー」は、おそらく『マリー・ド・フランスのレー』であろう。おそらくこれは、12世紀後半から13世紀初頭にイングランドに過ごしたフランスの女性詩人マリー・ド・フランスによって、1170年代に構成されたと考えられている。彼女のレーや、13世紀フランスのいくつかの無名のレーにおける記述から、初期のレーがケルト起源であり、文体においてはより叙情的でブルターニュミンストレルが口ずさんだことがうかがわれる。これらブルターニュの「叙情的なレー」は、一つとして現存していないが、歌曲のレーに道を開いたそれらの要約によって紹介され、なおかつ「語りのレー」の基礎となった。

古フランス語のレー21篇を13世紀に古ノルド語に散文訳した『ストレングレイカル英語版』は、マリー・ド・フランスのレーの翻案が主とした集成であるが、そのうち『浜辺のレー』(Strandar Lióð, Strandar Strengleikar)など四篇については、元のフランス語作品は判明していない(あるいは現存していない)[1][2]

ブルターニュで書かれた最初のレーは、中世フランスのさまざまな方言に置き換えられ、13世紀から14世紀には中世英語によっても再構成された。

脚注

  1. ^ Schlauch, Margaret (1971) (google). Studies in language and literature in honour of Margaret Schlauch. Russell & Russell. p. 210. http://books.google.co.jp/books?id=LqxZAAAAMAAJ 
  2. ^ Kjeldeskriftfondet (Norway) (1979) (google). Strengleikar: an Old Norse translation of twenty-one Old French lais. Norsk historisk kjeldeskrift-institutt. p. 201-. http://books.google.co.jp/books?id=MzBcAAAAMAAJ 

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