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'''石川 健治'''(いしかわ けんじ、[[1962年]] - )は、[[日本]]の[[憲法]][[法学|学]]。[[東京大学大学院法学政治学研究科]]教授。[[行政書士]]試験委員。
'''石川 健治'''(いしかわ けんじ、[[1962年]] - )は、[[日本]]の[[法学者]]。専門は[[憲法|憲法学]]。学位は[[学士 (法学)|]]([[東京大学]]・[[1985年]])[[東京大学]][[東京大学大学院法学政治学研究科・法学部|大学院法学政治学研究科・法学部]][[教授]]。[[行政書士]]試験委員。


== 略歴 ==
== 略歴 ==
*[[1985年]] [[東京大学法学部]]卒業、[[助手 (教育)|助手]]
*[[1985年]][[東京大学]][[東京大学大学院法学政治学研究科・法学部|法学部]]卒業、東京大学法学部[[助手 (教育)|助手]]
*[[1988年]] [[東京都立大学]]法学部[[助教授]]
*[[1988年]][[東京都立大学]][[法学部]][[助教授]]
*[[1998年]] 東京都立大学法学部[[教授]]
*[[1998年]]東京都立大学法学部[[教授]]
*[[2003年]] [[東京大学大学院法学政治学研究科]]教授
*[[2003年]]、[[東京大学]][[東京大学大学院法学政治学研究科・法学部|大学院法学政治学研究科・法学部]][[教授]]


== 人物 ==
== 人物 ==
「現代憲法学の鬼才」([[西原博史]])とも評される(長谷部恭男編『憲法本41』[平凡社、2001年])。学部時代、政治学者の[[篠原一 (政治学者)|篠原一]]のゼミに所属していた頃に憲法学者を目指すように薦められ、卒業後直ちに助手に就任し[[樋口陽一]]に師事する。[[カール・シュミット]]の置かれた時代状況とドイツにおける客観法の成り立ちを丹念においかけながらシュミット本来の思想を紐解き、日本の憲法学における[[制度的保障]]の議論を根底から批判した『自由と特権の距離』は、内容の難解さと審美的筆致においても、名著の誉れ高い書物である。
「現代憲法学の鬼才」([[西原博史]])とも評される(長谷部恭男編『憲法本41』[平凡社、2001年])。学部時代、[[政治学者]]の[[篠原一 (政治学者)|篠原一]]のゼミに所属していた頃に憲法学者を目指すように薦められ、卒業後直ちに助手に就任し[[樋口陽一]]に師事する。[[カール・シュミット]]の置かれた時代状況とドイツにおける客観法の成り立ちを丹念においかけながらシュミット本来の思想を紐解き、日本の憲法学における[[制度的保障]]の議論を根底から批判した『自由と特権の距離』は、内容の難解さと審美的筆致においても、名著の誉れ高い書物である。


==著書==
==著書==

2012年10月13日 (土) 06:15時点における版

石川 健治(いしかわ けんじ、1962年 - )は、日本法学者。専門は憲法学。学位は法学士東京大学1985年)。東京大学大学院法学政治学研究科・法学部教授行政書士試験委員。

略歴

人物

「現代憲法学の鬼才」(西原博史)とも評される(長谷部恭男編『憲法本41』[平凡社、2001年])。学部時代、政治学者篠原一のゼミに所属していた頃に憲法学者を目指すように薦められ、卒業後直ちに助手に就任し樋口陽一に師事する。カール・シュミットの置かれた時代状況とドイツにおける客観法の成り立ちを丹念においかけながらシュミット本来の思想を紐解き、日本の憲法学における制度的保障の議論を根底から批判した『自由と特権の距離』は、内容の難解さと審美的筆致においても、名著の誉れ高い書物である。

著書

  • 『自由と特権の距離――カール・シュミット「制度体保障」論・再考』(日本評論社、1999年/増補版、2007年)

共著

  • 大石眞と共編『憲法の争点(新・法律学の争点シリーズ 3)』(有斐閣、2008年)
  • 高橋和之長谷部恭男と共編『憲法判例百選Ⅰ、Ⅱ(第5版)』(有斐閣、2007年)
  • 樋口陽一編『ホーンブック 憲法』(北樹出版、1993年/第二版、2000年)
  • 横田耕一高見勝利編『ブリッジブック憲法』(信山社、2003年)
  • LS憲法研究会編 『プロセス演習 憲法』(信山社、第二版、2005年/第三版、2007年)

門下生