「ドナルド・ダック・ダン」の版間の差分
編集の要約なし |
編集の要約なし |
||
6行目: | 6行目: | ||
== 概要 == |
== 概要 == |
||
1960年頃より[[スタックス・レコード]]の専属プレイヤーとして[[オーティ |
1960年頃より[[スタックス・レコード]]の専属プレイヤーとして[[オーティス・レディング]]、[[サム&デイブ]]、[[ウィルソン・ピケット]]、[[アイザック・ヘイズ]]、[[エディ・フロイド]]、[[カーラ・トーマス]]、[[アルバート・キング]]等のレコーディングやツアーをサポート。<br /> |
||
70年代にスタックスを離れてからは現在まで[[フレディ・キング]]、[[エルヴィス・プレスリー]]、[[デュアン・オールマン]]、[[ロッド・スチュワート]]、[[リヴォン・ヘルム]]、[[トム・ペティ]]、[[ボブ・ディラン]]、[[エリック・クラプトン]]、[[忌野清志郎]]、[[マディ・ウォーターズ]]、[[ニール・ヤング]]等のレコーディングやバンドに参加している。<br /> |
70年代にスタックスを離れてからは現在まで[[フレディ・キング]]、[[エルヴィス・プレスリー]]、[[デュアン・オールマン]]、[[ロッド・スチュワート]]、[[リヴォン・ヘルム]]、[[トム・ペティ]]、[[ボブ・ディラン]]、[[エリック・クラプトン]]、[[忌野清志郎]]、[[マディ・ウォーターズ]]、[[ニール・ヤング]]等のレコーディングやバンドに参加している。<br /> |
||
また、パーマネントバンドとしては[[ブッカー・T&ザ・MG's]]、[[ブルース・ブラザーズ]]で活動。 |
また、パーマネントバンドとしては[[ブッカー・T&ザ・MG's]]、[[ブルース・ブラザーズ]]で活動。 |
2012年5月16日 (水) 09:17時点における版
この項目は訃報が伝えられた直後の人物について扱っています。 |
ドナルド・ダック・ダン (Donald "duck" dunn,1941年11月24日 - 2012年5月13日)はアメリカ合衆国のベーシスト。テネシー州メンフィス出身。1960年代から活動するジェームス・ジェマーソンと並び称されるソウルミュージックの伝説的プレイヤー。ミドルネームの"ダック"はあだ名。
来日中の2012年5月13日に東京都内で死去[1]。
概要
1960年頃よりスタックス・レコードの専属プレイヤーとしてオーティス・レディング、サム&デイブ、ウィルソン・ピケット、アイザック・ヘイズ、エディ・フロイド、カーラ・トーマス、アルバート・キング等のレコーディングやツアーをサポート。
70年代にスタックスを離れてからは現在までフレディ・キング、エルヴィス・プレスリー、デュアン・オールマン、ロッド・スチュワート、リヴォン・ヘルム、トム・ペティ、ボブ・ディラン、エリック・クラプトン、忌野清志郎、マディ・ウォーターズ、ニール・ヤング等のレコーディングやバンドに参加している。
また、パーマネントバンドとしてはブッカー・T&ザ・MG's、ブルース・ブラザーズで活動。
生涯
1941年11月24日、テネシー州メンフィスに生まれる。10歳のときにウクレレを手にし、小学6年生のときに同地に引っ越してきたスティーヴ・クロッパーと知り合いになる。
16歳のときにベースを手にしスティーヴやテリー・ジョンソンらとザ・ロイヤル・スぺーズというバンドを結成し、57年頃から活動。のちにこのバンドはマーキーズと名を変えスタックス・レコードに出入りするようになる。
64年頃、スタックスのハウスバンド、ブッカー・T&ザ・MG'sにルイ・スタインバーグの後釜として参加、76年に同社が倒産するまで数多くの所属アーティストのレコーディングやライブをサポートした。
70年代からは体制の変わった同社から少しずつ離れ、ロッド・スチュワートやザ・バンドのリヴォン・ヘルム、レオン・ラッセル等のセッションに参加するようになり、78年にはTV番組サタデー・ナイト・ライブの企画から生まれたバンド、ザ・ブルース・ブラザーズにスティーヴと共に加わり80年、98年に公開された映画にも出演、83年からはエリック・クラプトンのバンドに参加しツアーと2枚のアルバムでプレイし、85年のライブエイドにも出演した
92年にブッカー・T&ザ・MG'sとしてボブ・ディランの30周年特別公演のハウスバンドを務める。また同年、やはりMG'sの一員として忌野清志郎のアルバム「Memphis」に参加、日本武道館でのライブにも出演している。
90年代後期に喉頭癌を患うも回復。
00年代からは主にニール・ヤングのツアーやレコーディング、スタックスのレビューライブやブッカー・T&ザ・MG'sでのライブ等で活動。
死去
2012年5月、コットンクラブ、ブルーノート東京での公演の為エディ・フロイド、スティーヴ・クロッパーらと来日。
9日〜12日までの全公演終了翌日、2012年5月13日朝、宿泊先のホテルで死亡しているのが発見され、同日スティーヴ・クロッパーがfacebook上で公表。[2]
プレイスタイル
シンプルなパターンプレイヤーであり、リズムに徹したプレイと時に弦を引っぱり上げる程のハードなピッキングが特徴。
ベースラインは1~2小節で完結していることが多く、フィルインも少ないが中音域を使うことによってメロディアスに聞こえ、耳に残るフレーズを多く残した。
フレーズにはペンタトニックを多用し、8分音符主体で作られていることが多いが多少16分音符を加え、ひとつのパターンに対し1ヶ所入れられるシンコペーションがドライブ感を生み出し、前述のハードピッキングが生み出すツブ立ちの良さと相まって独特なサウンドになっている。
使用機材
活動初期より長くフェンダー社の58年製プレシジョンベースを使用した。このベースはネックをジャズベースのものと替えられている。
00年頃よりLAKLAND社のシグネイチャーを使用いている。[3]
その他フェンダー製のキャンディアップルのプレシジョンベース、メーカー不明の黒いジャズベース、ヤマハBB等の使用が確認されている。
アンプはアンペグを主に使用、その他GALLIEN-KRUEGERやHartke、フェンダーベースマンも使用している。
最後の公演ではアンペグSVT-VRを使用していた。
脚注
- ^ ドナルド・ダック・ダン氏が死去 米国のベーシスト 都内で 日本経済新聞 2012年5月14日
- ^ THE OFFICIAL STEVE CROPPER FACEBOOK PAGE
- ^ Lakland Skyline Duck Dunn