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1995年の[[ユニバーシアード柔道競技|ユニバーシアード]]決勝ではポイントの取り合いの末に[[窪田和則]]に[[裏投]]で敗れたが、その際に相手との握手を拒否してそそくさと畳から立ち去った。1996年の[[アトランタオリンピック]]では[[ユン・ドンシク|尹東植]]を押しのけて代表となるが、準決勝で[[古賀稔彦]]に警告と[[巴投]]で有効を取られて敗れた。この試合では寝技の攻防の際に古賀の手に噛み付いたという<ref>「独占ロングインタビュー 古賀稔彦」[[近代柔道]] [[ベースボールマガジン社]]、1996年11月号、3項-9項</ref>。この時も相手と握手をせずに畳から立ち去る態度を取った。1997年の[[1997年世界柔道選手権大会|世界選手権]]では決勝でフランスの[[ジャメル・ブーラ]]を技有りで破って優勝した。1999年の[[1999年世界柔道選手権大会|世界選手権]]では3位に終わった。2000年の[[シドニーオリンピック]]では決勝で[[瀧本誠]]に[[袖釣込腰]]で有効を取られて敗れたが、この際には相手との握手に応じた。また、表彰式では優勝した瀧本に対して拍手も送った。2001年の[[2001年世界柔道選手権大会|世界選手権]]では、決勝でエストニアの[[アレクセイ・ブドリン]]を[[掬投]]で破って2度目の優勝を果たした。 |
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引退後は[[心理学|スポーツ心理学]]で博士号を取得して、現在は[[龍仁大学校]]の教授を務めている。 |
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==主な戦績== |
==主な戦績== |
2012年5月7日 (月) 12:28時点における版
獲得メダル | ||
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韓国 | ||
柔道 | ||
オリンピック | ||
銀 | 2000 シドニー | 81kg級 |
銅 | 1996 アトランタ | 78kg級 |
世界柔道選手権 | ||
金 | 1999 パリ | 78kg級 |
金 | 2001 ミュンヘン | 81kg級 |
銅 | 1999 バーミンガム | 81kg級 |
趙麟徹(チョ・インチョル、朝: 조 인철、英: Cho In-Chul、1976年3月4日- )は韓国出身の柔道選手。階級は81kg級。身長180cm[1]。
人物
1995年のユニバーシアード決勝ではポイントの取り合いの末に窪田和則に裏投で敗れたが、その際に相手との握手を拒否してそそくさと畳から立ち去った。1996年のアトランタオリンピックでは尹東植を押しのけて代表となるが、準決勝で古賀稔彦に警告と巴投で有効を取られて敗れた。この試合では寝技の攻防の際に古賀の手に噛み付いたという[2]。この時も相手と握手をせずに畳から立ち去る態度を取った。1997年の世界選手権では決勝でフランスのジャメル・ブーラを技有りで破って優勝した。1999年の世界選手権では3位に終わった。2000年のシドニーオリンピックでは決勝で瀧本誠に袖釣込腰で有効を取られて敗れたが、この際には相手との握手に応じた。また、表彰式では優勝した瀧本に対して拍手も送った。2001年の世界選手権では、決勝でエストニアのアレクセイ・ブドリンを掬投で破って2度目の優勝を果たした。
引退後はスポーツ心理学で博士号を取得して、現在は龍仁大学校の教授を務めている。
主な戦績
- 1992年 - 国際高校柔道選手権大会 2位
- 1994年 - 世界ジュニア 2位
- 1995年 - ユニバーシアード 2位
- 1995年 - アジア選手権 2位
- 1996年 - フランス国際 3位
- 1996年 - アトランタオリンピック 3位
- 1996年 - アジア選手権 2位
- 1996年 - 世界学生 優勝
- 1997年 - フランス国際 優勝
- 1997年 - 世界選手権 優勝
- 1998年 - アジア大会 優勝
- 1999年 - 世界選手権 3位
- 2000年 - シドニーオリンピック 2位
- 2001年 - フランス国際 2位
- 2001年 - 東アジア大会 優勝
- 2001年 - 世界選手権 優勝
- 2001年 - グランプリ・モスクワ 3位
脚注
- ^ Jo In-Cheol Biography and Olympic Results
- ^ 「独占ロングインタビュー 古賀稔彦」近代柔道 ベースボールマガジン社、1996年11月号、3項-9項