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[[明治維新]]以前は'''白山中宮長滝寺'''(はくさんちゅうぐうちょうりゅうじ)と称したが、[[明治時代]]の[[神仏分離]]により、'''長滝白山神社'''と[[長瀧寺]]に分離された。神仏分離後も長滝白山神社と長滝寺は同一境内にあり、参道も同じである(参道から左側が長滝寺、右側が長滝白山神社)。 |
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社号は白山長滝神社と呼ぶ場合もある。宗教法人としての登録名は「白山神社」。[[近代社格制度|旧社格]]は県社。 |
社号は白山長滝神社と呼ぶ場合もある。宗教法人としての登録名は「白山神社」。[[近代社格制度|旧社格]]は県社。 |
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伝承によれば、[[養老]]元年([[717年]])、白山中宮長滝寺として[[泰澄]]が創建したとされる。同6年には同寺にて[[元正天皇]]の病気平癒を祈願して効験があったことから、元正自作の[[十一面観音]]、[[聖観音]]、[[阿弥陀如来]]の本地仏を安置し、白山本地中宮長滝寺に改称したという。 |
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[[江戸時代]]には白山嶺上の管理を巡り、美濃馬場の白山本地中宮長滝寺、加賀馬場の白山寺白山本宮、越前馬場の平泉寺との論争が起きる。日本全国の白山神社の半数以上が白山本地中宮長滝寺系統の白山神社であったという。 |
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==主な行事== |
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*鉄製斧(入峯斧) |
*鉄製斧(入峯斧) |
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*銅仏餉鉢(どうぶっしょうばち)3口 うち内1口に正和三年、1口に元亨三年、1口に延文二年の紀年銘あり |
*銅仏餉鉢(どうぶっしょうばち)3口 うち内1口に正和三年、1口に元亨三年、1口に延文二年の紀年銘あり |
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*古楽面 26面 鎌倉時代から江戸時代に至る古楽面群で、[[能面]]の源流を知るうえで重要な資料である。<ref> |
*古楽面 26面 鎌倉時代から江戸時代に至る古楽面群で、[[能面]]の源流を知るうえで重要な資料である。<ref>平成12年度に旧・[[重要美術品]]の11面と未指定の14面を合わせた25面が重要文化財に指定され、同20年に鬼面1面が追加指定された。</ref> |
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*古瀬戸黄釉瓶子 2口 正和元年十二月施入の銘がある - 正和2年は西暦1312年 |
*古瀬戸黄釉瓶子 2口 正和元年十二月施入の銘がある - 正和2年は西暦1312年 |
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*石燈籠 正安四年壬寅七月日願主伝燈大法師覚海の刻銘がある - 正安4年は1302年 |
*石燈籠 正安四年壬寅七月日願主伝燈大法師覚海の刻銘がある - 正安4年は1302年 |
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2011年12月30日 (金) 06:58時点における版
白山神社 | |
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拝殿(2008/11) | |
所在地 | 岐阜県郡上市白鳥町長滝138 |
位置 | 北緯35度55分15.46秒 東経136度49分50.30秒 / 北緯35.9209611度 東経136.8306389度 |
主祭神 |
菊理媛神 伊弉諾尊 伊弉冉尊 |
社格等 | 旧県社 |
創建 | 伝養老元年(717年) |
本殿の様式 | 神明造 |
別名 | 長滝白山神社 |
例祭 |
1月6日:六日祭(花奪い祭) 5月5日:でででん祭り |
白山神社(はくさんじんじゃ)は、岐阜県郡上市白鳥町長滝(ながたき)に鎮座する神社である。鎮座地に因んで長滝白山神社とも称される。日本各地に分布する白山神社の中心的な神社の一つであり、白山信仰と関わりが深い。白山信仰の美濃国側の中心である。
明治維新以前は白山中宮長滝寺(はくさんちゅうぐうちょうりゅうじ)と称したが、明治時代の神仏分離により、長滝白山神社と長瀧寺に分離された。神仏分離後も長滝白山神社と長滝寺は同一境内にあり、参道も同じである(参道から左側が長滝寺、右側が長滝白山神社)。
社号は白山長滝神社と呼ぶ場合もある。宗教法人としての登録名は「白山神社」。旧社格は県社。
祭神
沿革
伝承によれば、養老元年(717年)、白山中宮長滝寺として泰澄が創建したとされる。同6年には同寺にて元正天皇の病気平癒を祈願して効験があったことから、元正自作の十一面観音、聖観音、阿弥陀如来の本地仏を安置し、白山本地中宮長滝寺に改称したという。
天長5年(828年)にはそれまでの法相宗から天台宗寺院へ改宗。同9年には白山三馬場の一つになる(『白山之記』)。馬場とは禅定道の起点のことであり、白山三馬場とは、美濃国の白山中宮長滝寺、加賀国の白山寺白山本宮(現白山比咩神社)、越前国の平泉寺白山神社である。平安時代の長滝寺は、白山三所、若宮社、大講堂、鐘楼、護摩堂、神楽殿、三重塔、法華堂、薬師堂など30以上の堂宇が建ち、6谷6院360坊を有していたという。文永8年(1271年)には火災により半数の建物を焼失。正応3年(1290年)には本殿が再建された。
江戸時代には白山嶺上の管理を巡り、美濃馬場の白山本地中宮長滝寺、加賀馬場の白山寺白山本宮、越前馬場の平泉寺との論争が起きる。日本全国の白山神社の半数以上が白山本地中宮長滝寺系統の白山神社であったという。
慶応4年(明治元年、1868年)、神仏分離により、長滝白山神社と長瀧寺に分離した。白山本地中宮長滝寺の建物のうち、白山三社、拝殿は長滝白山神社となり、大講堂、薬師堂、弁天堂、鐘楼、経蔵などは長滝寺となる。明治33年(1899年)に火災で社殿を焼失し、現在の建物は大正時代の再建である。
主な行事
- 1月6日:六日祭(花奪い祭)
- 5月5日:でででん祭り
- 豊作、豊蚕、無病息災を祈願する祭り。独特の太鼓を敲く音から、でででん祭りと呼ばれる。
文化財
- 重要文化財
- 鉄蛭巻手鉾(てつひるまきてぼこ)
- 鉄製斧(入峯斧)
- 銅仏餉鉢(どうぶっしょうばち)3口 うち内1口に正和三年、1口に元亨三年、1口に延文二年の紀年銘あり
- 古楽面 26面 鎌倉時代から江戸時代に至る古楽面群で、能面の源流を知るうえで重要な資料である。[1]
- 古瀬戸黄釉瓶子 2口 正和元年十二月施入の銘がある - 正和2年は西暦1312年
- 石燈籠 正安四年壬寅七月日願主伝燈大法師覚海の刻銘がある - 正安4年は1302年
- 黄地蝶梅文様繍狩衣・黄地牡丹文様繍狩衣
所在地
- 岐阜県郡上市白鳥町長滝138