「佐藤博 (フォークシンガー)」の版間の差分

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== 外部リンク ==
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*[http://www.mmjp.or.jp/soho/gwan/ 「青空と星空」(通称 GWANさん)のページ] - ファンサイト、公認サイト
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*[http://www.linkclub.or.jp/~seals-r/  Welcome to Seals Records!] - シールズレコード
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*[http://www.geocities.jp/haruichi_88/ はっちゃんと春一番コンサート] - ファンサイト
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*[http://reys-artists.com/blog/ Reys-Artists.Com] - ファンサイト
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2011年8月19日 (金) 12:04時点における版

佐藤GWAN博
出生名 佐藤博
生誕 (1943-11-05) 1943年11月5日(80歳)
出身地 日本の旗 日本
ジャンル フォークソング
職業 歌手
公式サイト 「青空と星空」(通称 GWANさん)のページ

佐藤 博(さとう ひろし、1943年11月5日 - )は、日本のフォークシンガーである。 いくつかの名前を持っており、仕事の内容によって使い分けがある。 人から呼ばれるときは、ほぼ全員がGWANさん、ぐぁんさんと呼ぶ。 文字表記に直すとガン、GUN、GWAN、ぐぁん、といろいろあるのだが、どれも間違いではない。 このニックネームは俳優座養成所の頃、林隆三さんが鳩が豆鉄砲をくらったような、まんまるびっくりしたような目をしてるので、鉄砲=ガンと名付けられたとの事。

初期のころには俳優としても、フォークシンガーとしても佐藤博での表記であったが、同姓同名のミュージシャンの方もいらっしゃるので、 2000年よりアメリカ進出とアジアっぽい響きを取り入れ、GWANをミドルネームとして、『佐藤GWAN博』を正式名称としている。 他にも、諸説いろいろあって、同音の病気にならないように願をかけてるとも言われる。 別に放送作家としての活動に雁田昇(かりたのぼる)の名前を使う。 この名前は読み方を変えると、がんでしょう と読め偶然という事だがGWANさんの引っかけになっている。

俳優として

  • 1943年11月5日 福島県福島市生まれ。福島高校卒。
  • 1965年 俳優座附属俳優養成所(第15期生)卒業後、「劇団自由劇場」の創立メンバー。

 養成所同期には、林隆三小野武彦前田吟地井武男栗原小巻秋野太作夏八木勲浜畑賢吉高橋長英村井国夫赤座美代子太地喜和子三田和代・劇作家で斎藤憐。そして、マルチライターの佐藤博。  この同期は才能ある人達を多く輩出した事で、花の15期生と呼ばれている。  一期上には、串田和美・佐藤信・清水紘治・吉田日出子・樋浦勉・河内美子(現嵯峨美子)・辻萬長・原田芳雄がいた。

 ちなみに自由劇場は上記養成所のメンバーが中心として結成される。 地井武男・古川義範・樋浦勉・串田和美・溝口舜亮・村井国夫・佐藤博・清水綋治・河内美子・田島和子・吉田日出子の俳優陣と、演出関係の観世栄夫・斉藤隣・佐藤信という、総計14名を創立メンバーとして[劇団〈自由劇場〉]が発足した。

俳優として劇団活動を続けて「演劇センター68/71」(黒テント)にも参加。[1]

その後、自作の歌も歌いはじめフォークシンガーとなり、そして放送作家の活動も始める。

(公認サイトから一部引用)

フォークシンガーとして

吉祥寺を中心に活動していたことから、吉祥寺派とも呼ばれるフォークシンガーと親交が深い。 25年ぶりに作られたセカンドアルバムでは参加ミュージシャンとして佐久間順平・高田渡シバ中川イサト・松田幸一・竹田裕美子・今井忍・村上律・岡嶋BUN善文・ANNSAN・朝比奈尚之・青木ともこ・大庭珍太らが参加した。 サードアルバムでは、参加ミュージシャン佐久間順平・松田幸一・千葉一樹 ライナーノーツ:中川五郎 ジャケット写真:シバ


  • 1975年 アルバム「jam」(キングベルウッドレコード)リリース。
  • 1976年 アルバム「青空」(キングベルウッドレコード)を出す。
  • 70年代は毎年、「春一番コンサート
  • 80年代に入っても、吉祥寺「ぐゎらん堂」「のろ」などで精力的にライブを続けてきた。
  • 2000年 ニックネームGUNをGWANと改める。
  • 2001年 セカンドアルバム「星空」(シールズレコード)を25年ぶりにリリース。
  • 2008年 「佐藤GWAN博ソロライブ at Woodstock Cafe」(個人レーベル)
  • 2009年 サードアルバム「おやすみお月さん」(シールズレコード)

(公認サイトから引用)


参考文献

脚注

  1. ^ 日本フォーク大全 P202より

外部リンク