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== 文化 ==
== 文化 ==
[[神聖ローマ帝国]]時代にはザクセン=ヴァイマル公国(帝国解体後[[ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公国]])の首都であった。公国時代には、[[ヨハン・ゼバスティアン・バッハ|J.S.バッハ]]が宮廷音楽家を務め、また[[ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ|ゲーテ]]が宰相として仕えたことでしられる。市中心部には、ゲーテの旧邸宅がほぼ原型のままで保存されている。ゲーテ旧邸宅から300mほどの場所にあるヴァイマル国民劇場は、ゲーテや[[フリードリヒ・シラー]]らが自作のオリジナル演劇作品を上演したドイツ[[古典主義]]関係の歴史的遺構である。ここでは、いまでも現代の演出家による作品が公開され、オペラなども定期的に上演されている。これらの建物は'''[[古典主義の都ヴァイマル]]'''の名で、[[世界遺産]](文化遺産)に登録されている。ほかヴァイマルには[[ヨハン・ゴットフリート・ヘルダー|ヘルダー]]の旧宅などがある。
[[神聖ローマ帝国]]時代にはザクセン=ヴァイマル公国(帝国解体後[[ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公国]])の首都であった。公国時代には、[[ヨハン・ゼバスティアン・バッハ|J.S.バッハ]]が宮廷音楽家を務め、また[[ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ|ゲーテ]]が宰相として仕えたことでしられる。市中心部には、ゲーテの旧邸宅がほぼ原型のままで保存されている。ゲーテ旧邸宅から300mほどの場所にあるヴァイマル国民劇場は、ゲーテや[[フリードリヒ・シラー]]らが自作のオリジナル演劇作品を上演したドイツ[[古典主義]]関係の歴史的遺構である。ここでは、いまでも現代の演出家による作品が公開され、[[オペラ]]なども定期的に上演されている。これらの建物は'''[[古典主義の都ヴァイマル]]'''の名で、[[世界遺産]](文化遺産)に登録されている。ほかヴァイマルには[[ヨハン・ゴットフリート・ヘルダー|ヘルダー]]の旧宅などがある。


国民劇場の正面向かい側には、広場をはさんでバウハウス博物館がある。周辺には、[[ヴァルター・グロピウス|グロピウス]]の主宰した[[バウハウス]]の旧校舎(現在バウハウス大学・ヴァイマル校舎)およびヴァイマル市民会館などバウハウス関係の建築物が点在する。これらのうち3件の建築物が'''[[ヴァイマルとデッサウのバウハウスとその関連遺産群]]'''の一部として、1996年に[[世界遺産]](文化遺産)に登録されている。
国民劇場の正面向かい側には、広場をはさんでバウハウス博物館がある。周辺には、[[ヴァルター・グロピウス|グロピウス]]の主宰した[[バウハウス]]の旧校舎(現在バウハウス大学・ヴァイマル校舎)およびヴァイマル市民会館などバウハウス関係の建築物が点在する。これらのうち3件の建築物が'''[[ヴァイマルとデッサウのバウハウスとその関連遺産群]]'''の一部として、[[1996年]]に[[世界遺産]](文化遺産)に登録されている。


ヴァイマルは、[[第一次世界大戦]]後の1919年に憲法制定会議が行われた地として知られている。会議が行われた場所は、ヴァイマル国民劇場である。ここで制定された憲法を[[ヴァイマル・ライヒ憲法|ヴァイマル憲法]](Weimarer Reichsverfassung、ワイマール憲法)、この憲法に基づいた[[1919年]]から[[1933年]]までのドイツ共和国を[[ヴァイマル共和政|ヴァイマル共和国]](Weimarer Republik、ワイマール共和国)と呼ぶ。
ヴァイマルは、[[第一次世界大戦]]後の[[1919年]]に憲法制定会議が行われた地として知られている。会議が行われた場所は、ヴァイマル国民劇場である。ここで制定された憲法を[[ヴァイマル・ライヒ憲法|ヴァイマル憲法]](Weimarer Reichsverfassung、ワイマール憲法)、この憲法に基づいた1919年から[[1933年]]までのドイツ共和国を[[ヴァイマル共和政|ヴァイマル共和国]](Weimarer Republik、ワイマール共和国)と呼ぶ。


== 姉妹都市 ==
== 姉妹都市 ==

2011年5月13日 (金) 09:23時点における版

紋章 地図
Wappen der Stadt Weimar Lage der Stadt Weimar in Deutschland
基本情報
連邦州: テューリンゲン州
郡: 郡独立市
緯度経度: 北緯 50度59分
東経 11度19分
標高: 海抜 208.6 m
面積: 84.26 km²
人口:

65,138人(2021年12月31日現在) [1]

人口密度: 773 人/km²
郵便番号: 99401 - 99428 (旧: 5300)
市外局番: 03643

Taubach:036453

ナンバープレート: WE
自治体コード: 16 0 55 000
市庁舎の住所: Schwanseestr. 17
99421 Weimar
公式ウェブサイト: www.weimar.de
E-Mail: stadtverwaltung@
stadtweimar.de
行政
上級市長: シュテファン・ヴォルフ
(Stephan Wolf) (SPD)

ヴァイマルWeimar)は、ドイツテューリンゲン州の都市で、主要な歴史的文化都市のひとつ。ワイマールヴァイマールとも呼ばれる。「ワイマール」という表記は舞台ドイツ語の慣用による。現在のドイツ語ではヴァイマーウァイマー)とも表記される。

面積は84,27 km²、人口は約6万4千人。主な宗教はキリスト教プロテスタントルター派1999年には欧州文化首都に選ばれている。

地勢

州都エアフルトから東に20kmほどの平地に開けた町である。ヴァイマルとは“聖なる泉”を意味する言葉といわれている。東隣20kmほどの離れたところには古い大学町イェーナがある。

文化

神聖ローマ帝国時代にはザクセン=ヴァイマル公国(帝国解体後ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公国)の首都であった。公国時代には、J.S.バッハが宮廷音楽家を務め、またゲーテが宰相として仕えたことでしられる。市中心部には、ゲーテの旧邸宅がほぼ原型のままで保存されている。ゲーテ旧邸宅から300mほどの場所にあるヴァイマル国民劇場は、ゲーテやフリードリヒ・シラーらが自作のオリジナル演劇作品を上演したドイツ古典主義関係の歴史的遺構である。ここでは、いまでも現代の演出家による作品が公開され、オペラなども定期的に上演されている。これらの建物は古典主義の都ヴァイマルの名で、世界遺産(文化遺産)に登録されている。ほかヴァイマルにはヘルダーの旧宅などがある。

国民劇場の正面向かい側には、広場をはさんでバウハウス博物館がある。周辺には、グロピウスの主宰したバウハウスの旧校舎(現在バウハウス大学・ヴァイマル校舎)およびヴァイマル市民会館などバウハウス関係の建築物が点在する。これらのうち3件の建築物がヴァイマルとデッサウのバウハウスとその関連遺産群の一部として、1996年世界遺産(文化遺産)に登録されている。

ヴァイマルは、第一次世界大戦後の1919年に憲法制定会議が行われた地として知られている。会議が行われた場所は、ヴァイマル国民劇場である。ここで制定された憲法をヴァイマル憲法(Weimarer Reichsverfassung、ワイマール憲法)、この憲法に基づいた1919年から1933年までのドイツ共和国をヴァイマル共和国(Weimarer Republik、ワイマール共和国)と呼ぶ。

姉妹都市

関連項目

引用

外部リンク