「タクマ (タレント)」の版間の差分

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2010年4月1日 (木) 08:48時点における版

タクマ1957年12月30日 - )は、兵庫県生まれのタレントマジシャンパーソナリティ。芸名は「切磋琢磨」から取られている。キャッチフレーズは『暮らしに笑顔の宅配便』。大親友の天野良春や同じく東海ラジオで番組を担当する宮地佑紀生などからは「タクちゃん」と呼ばれることが多い。現在は名古屋を拠点に東海地方テレビラジオで活動している。

2004年に芸能生活30周年を迎えた。

人物・来歴・エピソード

  • 16歳(高校1年)で芝居の勉強を始め、藤田まこと主宰の劇団で芸能活動をスタートする。しかし事故によるケガで引退し、親戚が営む名鉄百貨店内の天ぷら屋で板前として修行の日々を送る。その際に役者時代の知り合いであり、名鉄ホールの関係者が訪ねてきて、当時名鉄百貨店のクラブ活動の一環として行われていた劇団の入団を勧められる。劇団に入るものの、後に劇団は解散する。しかしその中の劇団員であった女性2人とともに、1985年にコント『涙・恋笑隊(るい・れんしょうたい。後に女性2人は引退する)』を結成する。一時期、大須演芸場の期待の若手として注目され、テレビ朝日の「ザ・テレビ演芸」のお笑いサドンデスで、勝ち抜きチャンピオンにもなった。
    • 涙・恋笑隊の活動当時NHKの番組に出演した際のインタビューで、名古屋にやってきた理由を「東京・大阪双方のお笑い芸人が高座にあがる」ことをあげ、「東西のお笑いを吸収することが芸人として成長する大きな糧になるのではないかと思った」と語っている。
    • 涙・恋笑隊で大須演芸場で活動していた頃は、朝4時に起きて柳橋市場で働き[1]、午後からは演芸場に出演、夜は寝る間を惜しんでネタ作り・稽古の練習という日々を過ごしていた。
  • 現在はラジオのパーソナリティーを中心に、イリュージョンマジックを使うマジシャンとしても活躍し、当初は2つだったネタも現在は50種類以上のレパートリーとなった。特に1994年から行っている大掛かりなイリュージョンと、観客を笑いの渦に引き込むそのステージは東海地方の大きなイベントには欠かせない。現在は男性アシスタントを雇うほか、マジックを身近に感じてもらうことも含めて名古屋市東区の自身のマジックスタジオでマジック教室も主宰している。
    • タクマの主催する『タクマ必笑ライブ○(○には回数)』などのチケットが一般販売されると、大抵は数時間で完売してしまうほどの人気ぶりである。
  • 放送ではフリーランスのタレントと公称しているが、イリュージョンマジックのマネージメントのための個人事務所を構えている。上述のアシスタントとは別に若手芸人を内弟子として面倒を見ているが、「少ないギャラの中からさらにマージンを取るのは忍びない」との理由で事務所所属にはさせていない。
  • 1997年、当時・東海ラジオアナウンサーでタクマの番組のアシスタントだった古橋みゆきと結婚。1男(通称・元気くん)をもうけた。みゆきは結婚と共に東海ラジオを退社しタクマのマジックショーのアシスタントに専念。元気もステージデビューも既に果たしており[2]、現在は3人でマジックショーに出演することもある。
  • 出身が兵庫県のためか、タイガースファン〔東海ラジオには、他にも源石和輝アナウンサーがタイガースファン。少年時代は阪神子どもの会(特別会員)に加入〕だが、出演する東海ラジオでは、普通に受け入れられている。2003年優勝時はかにタク内で六甲おろしを放送したりするなどあったが、最近はタイガースファンということはあまり大ぴらにしていない。
    • 野球シーズンのみかにタクのハト時計で、源石和輝アナが掛布雅之のモノマネで前日の試合で阪神が勝利すると「いや~昨日はよかったですなぁ。わかりますよね?」、負けると「惜しかったですなぁ(悔しかったですなぁ。)わかりますよね?」と呼びかける。阪神が勝利した場合は素直に喜ぶが、負けた場合は別の話題でごまかしている。
  • 元・東海ラジオアナウンサーの天野良春とは親友であり、2人の関係を担当していた天野良春ショー内のコーナー名から「黄金コンビ」、「天野・タクマの危険な関係」と称されることもある。詳しいことに関しては天野良春の「天野・タクマの関係」を参照。
  • 2008年7月下旬頃のかにタク内で幽霊が苦手だということが発覚した。このことから、同年7月以降番組に怖い体験(と思わせといて実は違うっという投稿もある)が寄せられるようになった(メッセージを紹介する際、当初はBGMなしだったが、現在は雰囲気を出すためかBGMが放送されている)が、メッセージが読まれる度に「こういうのは募集してませんからね」や「も~やめっちゅうの」・「またか(またや)・・・。」っと言っている。ちなみに妖怪は大丈夫らしい。
    • 2009年9月3日、かにタクのエンディングで、次に放送される美味時間のパーソナリティである源石和輝とともに、阪神の話題で盛り上がっていたところ、その場の勢いもあってか、源石とともに「今日の阪神の勝ちに、あきら2を賭けるわ!!!」という約束をしてしまう。結局その日は阪神が負けてしまい、翌日の放送後にオアシス21・銀貨の広場で開催されていたあきら2(お化け屋敷)を蟹江の代わりにADのキャサリン(通称。以前蟹江が不在の時に使用されたカニ+蟹江の顔写真を貼り付けたお面をつけていた)とともに出かけ、その様子を録音した模様が9月7日の放送で・また場内を除いた様子をデジカメで写した様子が同日更新のサブちゃんねる(ブログ形式の番組オリジナルコンテンツ)で紹介された。なおお化け屋敷・場内の録音を聞いたリスナーからの反響により、ドコモ限定で着信音として東海ラジオ・ケータイサイトよりダウンロード配信する事となった。
  • 出身県を間違えるほど名古屋弁が上手く、かにタク言ったもん勝ちの番組内のばばぁ〜ずBarberでは、名古屋弁を生かし、見事におばあちゃん役を演じている。
  • 業界関係者から紹介を受けた人間からVシネマにインチキマジシャン役として出演しないかと誘われたが、平日のラジオ番組・かにタク言ったもん勝ちのパーソナリティを担当しているため断っていたことを、2008年2月20日のかにタク内で明かした。
  • マジックをするうえでの喜びは「小さなお子さんからおじいちゃんおばあちゃんまで、いろんな人に楽しんでもらえること」らしい[3]

メディア出演

現在

ラジオ(いずれも東海ラジオ)
CM出演

過去

テレビ
ラジオ
CM出演
  • 動物レストランズーミック(TV)
  • 中駒産業(TV・ラジオ)

脚注

  1. ^ 現在でも年末の大売出しの際に電話などをつないで話をする際、当時のことをよく知る社長と話すこともある。
  2. ^ タクマ自身は息子に自分の後を継がせる気はなかったが、元気がマジックやステージに興味を示したためマジックを教えているという。
  3. ^ タクマさんマジシャン 《将来は親子二代でステージにあがりたい》(『人物・エピソード』内の一部話も含めて)中部財界サイト内の芸能サロンより。

外部リンク