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以前から僧位らしいものはあったが[[760年]]([[天平宝字]]4年)大法師位のもとに伝法位と修行位がおかれ伝法位と修行位とにそれぞれ法師位、満位、住位、入位の4種の位階が置かれた。[[864年]]([[貞観 (日本)|貞観]]6年)には[[僧綱]]に対応する僧位として[[僧正]]に法印大和尚位(略して法印ともいう)、僧都に法眼和上位(略して法眼ともいう)、律師に法橋上人位(略して法橋ともいう)が与えられた。[[平安時代]]後期以降は[[定朝]]が叙されたのを皮切りに、[[仏師]]や[[連歌師]]などにも与えられるようになった。[[近世]]になると |
以前から僧位らしいものはあったが[[760年]]([[天平宝字]]4年)大法師位のもとに伝法位と修行位がおかれ伝法位と修行位とにそれぞれ法師位、満位、住位、入位の4種の位階が置かれた。[[864年]]([[貞観 (日本)|貞観]]6年)には[[僧綱]]に対応する僧位として[[僧正]]に法印大和尚位(略して法印ともいう)、僧都に法眼和上位(略して法眼ともいう)、律師に法橋上人位(略して法橋ともいう)が与えられた。 |
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[[平安時代]]後期以降は[[定朝]]が叙されたのを皮切りに、[[仏師]]や[[絵仏師]]、[[連歌師]]などにも与えられるようになった。[[近世]]になると絵師が任命される例が増え、武士の入道、[[儒者]]、[[医師]]などにも及んだ。仏師や絵師といった[[芸術家]]の場合、現代の[[人間国宝]]に喩えられよう。 |
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絵師の中では、御用絵師だけでなく民間絵師も叙任されたが、その手続きは面倒であった。[[門跡寺院]]を窓口としてしかるべき[[旗本]]などの名義を借り師匠などに[[保証人]]を頼んだ上で[[町奉行]]に願書を提出し許可を得た後、寺院に再度申請を差し出し評定にかけられ[[武家伝奏]]を介して叙任の[[宣旨]]が下された。 |
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==僧位一覧== |
==僧位一覧== |
2010年3月13日 (土) 12:50時点における版
僧位(そうい)とは日本において僧侶に対し与えられた位階のことである。
以前から僧位らしいものはあったが760年(天平宝字4年)大法師位のもとに伝法位と修行位がおかれ伝法位と修行位とにそれぞれ法師位、満位、住位、入位の4種の位階が置かれた。864年(貞観6年)には僧綱に対応する僧位として僧正に法印大和尚位(略して法印ともいう)、僧都に法眼和上位(略して法眼ともいう)、律師に法橋上人位(略して法橋ともいう)が与えられた。
平安時代後期以降は定朝が叙されたのを皮切りに、仏師や絵仏師、連歌師などにも与えられるようになった。近世になると絵師が任命される例が増え、武士の入道、儒者、医師などにも及んだ。仏師や絵師といった芸術家の場合、現代の人間国宝に喩えられよう。
絵師の中では、御用絵師だけでなく民間絵師も叙任されたが、その手続きは面倒であった。門跡寺院を窓口としてしかるべき旗本などの名義を借り師匠などに保証人を頼んだ上で町奉行に願書を提出し許可を得た後、寺院に再度申請を差し出し評定にかけられ武家伝奏を介して叙任の宣旨が下された。
僧位一覧
僧綱の官位相当表
僧位 | 僧官 | 備考 |
---|---|---|
法印大和尚位 | 大僧正 | |
僧正 | ||
権僧正 | ||
法眼和上位 | 大僧都 | |
権大僧都 | ||
少僧都 | ||
権少僧都 | ||
法橋上人位 | 大律師 | |
律師(中律師) | ||
権律師 |
凡僧の僧位
伝燈位 | 修行位 | 備考 |
---|---|---|
大法師位 → 伝燈大法師位 |
(修行大法師位) | 当初は「大法師位」だったが、のちに「伝燈大法師位」となった (「修行大法師位」もわずかに例がある)。 |
伝燈法師位 | 修行法師位 | |
伝燈満位 | 修行満位 | |
伝燈住位 | 修行住位 | |
伝燈入位 | 修行入位 | |
無位 | 無位 |