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== 歴 ==


== 歴 ==
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[[1950年]]から[[1960年]]に掛けて活躍したルーイン3兄弟([[ドン・ルーイン]]、[[テッド・ルーイン]])の末弟。[[1957年]]に[[カナダ]]のプロモーター、[[トーツ・モント]]にスカウトされて20歳でプロレス入りし、同年にデビューデビュー直後からベテランの[[ドン・カーチス]]のタッグパートナーを[[1958年]]に[[ニューヨーク]]でカーチスと組んでUSタッグ選手権(後の[[WWE|WWWF]]・USタッグ王座)を2度に渡って奪取[[1966年]][[10月28日]]には[[ロサンゼルス]]の[[オリンピック・オーデトリアム]]で[[ルー・テーズ]]を「'''アナコンダ殺法'''」と呼ばれる得意技の'''[[裸絞|スリーパー・ホールド]]'''で破り[[WWA]]世界ヘビー級王者となる。


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日本へは[[全日本プロレス]]の『第1回 [[チャンピオン・カーニバル (プロレス)|チャンピオン・カーニバル]]』に南半球ヘビー級チャンピオンの触れ込みで初来日。決勝で[[ジャイアント馬場]]に敗れるものの大活躍を見せる。[[1978年]]から1年間[[テキサス州]][[ダラス]]地区でプラスナックル王座に3度就いている。その後[[1982年]]1月まで全日に計9回来日、[[1984年]]8月には[[UWF]]に参戦。


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[[1980年代]]半ばにはフロリダ地区で'''パープル・ヘイズ'''と名乗り、[[ケビン・サリバン]]と怪奇派のタッグチームを結成。[[ダスティ・ローデス]]、[[ブラックジャック・マリガン]]らと抗争した。[[1990年代]]に入ってもインディー団体のリングに単発的に上がり続け、最終的には[[1998年]]に引退したという


[[ブルーザー・ブロディ]]の数少ない友人の一人でもあり、共に南半球をサーキットしたこともある。
[[ブルーザー・ブロディ]]の数少ない友人の一人でもあり、共に南半球をサーキットしたこともある。


== 得意技 ==
== 得意技 ==
*スリーパーホールド
*[[裸絞|スリーパーホールド]]
*ジャンピング・パイルドライバー
*[[パイルドライバー|ジャンピング・パイルドライバー]]


== タイトル履歴 ==
== タイトル履歴 ==
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*NWAオーストラレーシアン・タッグ王座: 3回
*NWAオーストラレーシアン・タッグ王座: 3回
*WWA世界ヘビー級王座: 1回
*WWA世界ヘビー級王座: 1回

== 関連項目==
*[[ザ・シーク]]
*[[アブドーラ・ザ・ブッチャー]]
*[[キング・イヤウケア]]
*[[ブルーザー・ブロディ]]
*[[ケビン・サリバン]]
*[[テリー・ブルンク|サブゥー]]


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2009年3月29日 (日) 13:08時点における版

マーク・ルーイン
プロフィール
リングネーム "マニアック" マーク・ルーイン
"マッド" マーク・ルーイン
ザ・パープル・ヘイズ
ニックネーム 毒蛇
身長 188cm
体重 115kg(全盛時)
誕生日 (1937-02-26) 1937年2月26日(87歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ニューヨーク州バッファロー
デビュー 1957年
引退 1998年
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マーク・ルーインMark Lewin1937年2月26日 - )はアメリカ合衆国ニューヨーク州バッファロー出身の元プロレスラー。日本での異名は毒蛇

来歴

1950年代から1960年代に掛けて活躍したルーイン3兄弟(ドン・ルーインテッド・ルーイン)の末弟。1957年カナダのプロモーター、トーツ・モントにスカウトされて20歳でプロレス入りし、同年にデビュー。デビュー直後からベテランのドン・カーチスのタッグパートナーを務め、1958年ニューヨークでカーチスと組んでUSタッグ選手権(後のWWWF・USタッグ王座)を2度に渡って奪取。1966年10月28日にはロサンゼルスオリンピック・オーデトリアムルー・テーズを「アナコンダ殺法」と呼ばれる得意技のスリーパー・ホールドで破りWWA世界ヘビー級王者となる。

その後カナダバンクーバーを主戦場に、1970年2月9日にパシフィック・ヘビー級選手権を奪取。さらに1971年11月29日にはスティーブン・リトル・ベアと組んでカナディアン・タッグ選手権を獲得した。1973年からはNWA圏のフロリダ州に転戦し、バティ・コルトを破り南部ヘビー級選手権を奪取。五大湖地区ではザ・シークとも抗争を繰り広げた。

日本へは全日本プロレスの『第1回 チャンピオン・カーニバル』に南半球ヘビー級チャンピオンの触れ込みで初来日。決勝でジャイアント馬場に敗れるものの大活躍を見せる。1978年から1年間テキサス州ダラス地区でプラスナックル王座に3度就いている。その後1982年1月まで全日に計9回来日、1984年8月にはUWFに参戦。

1980年代半ばにはフロリダ地区でパープル・ヘイズと名乗り、ケビン・サリバンと怪奇派のタッグチームを結成。ダスティ・ローデスブラックジャック・マリガンらと抗争した。1990年代に入ってもインディー団体のリングに単発的に上がり続け、最終的には1998年に引退したという。

ブルーザー・ブロディの数少ない友人の一人でもあり、共に南半球をサーキットしたこともある。

得意技

タイトル履歴

  • 南部ヘビー級王座: 1回
  • IWA世界タッグ王座: 8回
  • NWAインターナショナル・タッグ王座(トロント版): 1回
  • NWAカナディアン・タッグ王座: 1回
  • パシフィック・ヘビー級王座: 2回
  • WCCWアメリカン・タッグ王座: 2回
  • WCCWテキサス・プラスナックル王座: 5回
  • WCCWテキサス・ヘビー級王座: 3回
  • WCCWテキサス・タッグ王座: 1回
  • WCWA世界6人タッグ王座: 1回
  • WWWF・USタッグ王座(デトロイト版): 1回
  • WWWF・USヘビー級王座(デトロイト版): 2回
  • NWAアメリカス・ヘビー級王座: 1回
  • NWAオーストラ・アジアンタッグ王座: 1回
  • NWAオーストラレーシアン・タッグ王座: 3回
  • WWA世界ヘビー級王座: 1回

関連項目