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その後[[カナダ]]の[[バンクーバー (ブリティッシュコロンビア州)|バンクーバー]]を主戦場に、[[1970年]][[2月9日]]にパシフィック・ヘビー級選手権を奪取。さらに[[1971年]][[11月29日]]には[[スティーブン・リトル・ベア]]と組んでカナディアン・タッグ選手権を獲得した。[[1973年]]からは[[NWA (プロレス)|NWA]]圏の[[フロリダ州]]に転戦し、[[バティ・コルト]]を破り南部ヘビー級選手権を奪取。[[五大湖]]地区では[[ザ・シーク]]とも抗争を繰り広げた。 |
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日本へは[[全日本プロレス]]の『第1回 [[チャンピオン・カーニバル (プロレス)|チャンピオン・カーニバル]]』に南半球ヘビー級チャンピオンの触れ込みで初来日。決勝で[[ジャイアント馬場]]に敗れるものの大活躍を見せる。[[1978年]]から1年間[[テキサス州]][[ダラス]]地区でプラスナックル王座に3度就いている。その後[[1982年]]1月まで全日に計9回来日、[[1984年]]8月には[[UWF]]に参戦。 |
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[[ブルーザー・ブロディ]]の数少ない友人の一人でもあり、共に南半球をサーキットしたこともある。 |
[[ブルーザー・ブロディ]]の数少ない友人の一人でもあり、共に南半球をサーキットしたこともある。 |
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*スリーパーホールド |
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== タイトル履歴 == |
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*NWAオーストラレーシアン・タッグ王座: 3回 |
*NWAオーストラレーシアン・タッグ王座: 3回 |
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*WWA世界ヘビー級王座: 1回 |
*WWA世界ヘビー級王座: 1回 |
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== 関連項目== |
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*[[ザ・シーク]] |
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*[[アブドーラ・ザ・ブッチャー]] |
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*[[キング・イヤウケア]] |
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*[[ブルーザー・ブロディ]] |
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*[[ケビン・サリバン]] |
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*[[テリー・ブルンク|サブゥー]] |
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2009年3月29日 (日) 13:08時点における版
マーク・ルーイン | |
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プロフィール | |
リングネーム |
"マニアック" マーク・ルーイン "マッド" マーク・ルーイン ザ・パープル・ヘイズ |
ニックネーム | 毒蛇 |
身長 | 188cm |
体重 | 115kg(全盛時) |
誕生日 | 1937年2月26日(87歳) |
出身地 |
アメリカ合衆国 ニューヨーク州バッファロー |
デビュー | 1957年 |
引退 | 1998年 |
マーク・ルーイン(Mark Lewin、1937年2月26日 - )はアメリカ合衆国ニューヨーク州バッファロー出身の元プロレスラー。日本での異名は毒蛇。
来歴
1950年代から1960年代に掛けて活躍したルーイン3兄弟(ドン・ルーイン、テッド・ルーイン)の末弟。1957年にカナダのプロモーター、トーツ・モントにスカウトされて20歳でプロレス入りし、同年にデビュー。デビュー直後からベテランのドン・カーチスのタッグパートナーを務め、1958年にニューヨークでカーチスと組んでUSタッグ選手権(後のWWWF・USタッグ王座)を2度に渡って奪取。1966年10月28日にはロサンゼルスのオリンピック・オーデトリアムでルー・テーズを「アナコンダ殺法」と呼ばれる得意技のスリーパー・ホールドで破りWWA世界ヘビー級王者となる。
その後カナダのバンクーバーを主戦場に、1970年2月9日にパシフィック・ヘビー級選手権を奪取。さらに1971年11月29日にはスティーブン・リトル・ベアと組んでカナディアン・タッグ選手権を獲得した。1973年からはNWA圏のフロリダ州に転戦し、バティ・コルトを破り南部ヘビー級選手権を奪取。五大湖地区ではザ・シークとも抗争を繰り広げた。
日本へは全日本プロレスの『第1回 チャンピオン・カーニバル』に南半球ヘビー級チャンピオンの触れ込みで初来日。決勝でジャイアント馬場に敗れるものの大活躍を見せる。1978年から1年間テキサス州ダラス地区でプラスナックル王座に3度就いている。その後1982年1月まで全日に計9回来日、1984年8月にはUWFに参戦。
1980年代半ばにはフロリダ地区でパープル・ヘイズと名乗り、ケビン・サリバンと怪奇派のタッグチームを結成。ダスティ・ローデス、ブラックジャック・マリガンらと抗争した。1990年代に入ってもインディー団体のリングに単発的に上がり続け、最終的には1998年に引退したという。
ブルーザー・ブロディの数少ない友人の一人でもあり、共に南半球をサーキットしたこともある。
得意技
タイトル履歴
- 南部ヘビー級王座: 1回
- IWA世界タッグ王座: 8回
- NWAインターナショナル・タッグ王座(トロント版): 1回
- NWAカナディアン・タッグ王座: 1回
- パシフィック・ヘビー級王座: 2回
- WCCWアメリカン・タッグ王座: 2回
- WCCWテキサス・プラスナックル王座: 5回
- WCCWテキサス・ヘビー級王座: 3回
- WCCWテキサス・タッグ王座: 1回
- WCWA世界6人タッグ王座: 1回
- WWWF・USタッグ王座(デトロイト版): 1回
- WWWF・USヘビー級王座(デトロイト版): 2回
- NWAアメリカス・ヘビー級王座: 1回
- NWAオーストラ・アジアンタッグ王座: 1回
- NWAオーストラレーシアン・タッグ王座: 3回
- WWA世界ヘビー級王座: 1回