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== 概要 ==
== 概要 ==
[[1976]]にリック・オケイセックを中に結成され、[[1978年]]にメジャー・デビュー。
 長活動を行ってきたリズムギター・ボーカルのリック・オケイセックとベース・ボーカルのベンジャミン・オールを中核に1976年に結成され、[[1978年]]にメジャー・デビューしたアメリカニューウェーブバンド。その革新的でユニークな音楽とレコードに劣らぬ音質の正確で高い技術のライブが話題をさらった


 バンドが持っていった「燃える欲望 (Just What I Needed}」のデモテープを気に入った地元FM局の人気DJが自分の番組で繰り返しかけたところ、リクエストが殺到し、レコード会社の注目を集め、この曲をデビューシングルとしてカーズはセンセーショナルにデビューを飾った。
「錯乱のドライブ/カーズ登場」「キャンディ・オーに捧ぐ」とプラチナディスクを獲得し、[[グラミー賞]]新人賞にノミネートされるなど、デビュー作から立て続けにヒットし、その地位を不動のものにする。[[1984年]]の[[シングル]]「ユー・マイト・シンク - ''You Might Think''」は大ヒットし、第1回[[MTV Video Music Awards|MTVアウォードを]]受賞した(この年は[[マイケル・ジャクソン]]の「スリラー」や、[[シンディ・ローパー]]の「ガールズ・ジャスト・ワナ・ハブ・ファン」などが候補に挙がっていた)。また「ハートビート・シティ」からは3曲のヒットを出すなど、過去最大の傑作という呼び声も高い。しかし、日本での人気は、アメリカではかなりの実績があるにも関わらず低い。


「錯乱のドライブ/カーズ登場 (The Cars)」 (6Xプラチナディスク獲得) 「キャンディ・オーに捧ぐ (Candy-O)」 (全米アルバムチャート最高3位)、 [[グラミー賞]]新人賞にノミネートされるなど、デビュー作から立て続けにヒットを続け、その地位を確立していった。最初の2枚のアルバムはロック色が強かったが、3枚目では実験音楽的要素が強まり、4枚目5枚目ではポップ色が強まっていっており、その音楽のタイプはアルバム毎にどんどん変化していった。MTVが開局してからは、ユニークなミュージックビデオが評判を呼び、次々大ヒットが生まれた。5枚目のアルバム「ハートビートシティ (Heartbeat City)」 (全米アルバムチャート最高3位) からは、4曲のヒットがチャートを賑わせた。中でも[[1984年]]の[[シングル]]「ユー・マイト・シンク (''You Might Think'')」は、多くの強敵を押しのけ第1回[[MTV Video Music Awards|MTVアウォードを]]受賞した(この年は[[マイケル・ジャクソン]]の「スリラー」や、[[シンディ・ローパー]]の「ガールズ・ジャスト・ワナ・ハブ・ファン」やマドンナなどが候補に挙がっていた)。カーズの最大のヒットとなった「ドライブ (Drive)」は、1985年のライブエイドのテーマ曲としても選ばれ、この曲にあわせてエチオピア飢餓の映像のビデオが、デビット・ボウィの司会で世界中に流されるなど、特別な注目も集めた。
作詞は全般的にリック・オケイセックが担当しているが、作曲やジャケットデザインなどは他のメンバーが担当している。アートワークの良さも評価されている。またアルバムを聞くとわかるが、「ハートビート・シティ」などヒットを飛ばす以前から、ドラム・パートは[[ドラムマシン]]による打ち込みが極端に多く用いられている。ドラムマシンがすでに製品化されていた時代とはいえ、当時一部のファンの間では、デビッド・ロビンソンはカーズの活動にもレコーディングにも、あまり積極的ではないという声もあった。
しかし、日本での人気は、アメリカではかなりの実績があるにも関わらず低い。


 作詞・作曲は全般的にリック・オケイセックが担当しているが、作曲の一部やジャケットデザインなどは他のメンバーが担当している。アートワークの良さも評価されている。
[[1988年]]、リックの提案で解散が決定する。一説によれば、「ハートビート・シティ」までのアルバム評価、セールス等に比べ「ドア・トゥ・ドア」のセールス、それに伴うツアーの観客動員数の悪さにメンバーが大きなショックを受けた事が原因と言われている。 メンバーはその後、ソロ活動などで活躍。
[[2005年]]、エオット・イストングレッグ・ホークスらが再結成を拒否したリック・オケイセックの代役して[[トッド・ラグレ]]を迎え「ニューズ(The New Cars)」を結成。ライブ活動も行っている。
リードボーカルは、リック・オケイセックとジャミン・ルの2人が曲により分けあっている。

[[1988年]]、2月カーズは記者会見や解散理由の説明もなくグループをすでに解散していることを確認した。最後にリリースされたアルバム「ドア・トゥ・ドア (Door to Door)」の音楽の方向性があまりにも多様化しすぎ、ファンが戸惑い、それまでのアルバムの売り上げに比べてセールスが伸びず (アメリカビルボードアルバムチャ-ト最高26位)、それに伴いツアーの観客動員数も減ってきたことにショックを受けた事が原因と言う説もあるが定かではない。 メンバーはその後、ソロ活動などで活躍。ベンジャミン・オールが癌で死亡したため、完全な形での再結成は不可能となった。

[[2005年]]、カーズのオリジナルメンバーのエリオット・イーストン (ギター)、グレッグ・ホークス (キーボード)が再結成を拒否したリック・オケイセックと、ベンジャミン・オールの代わりのボーカルとして[[トッド・ラングレン]]を迎えて「ニュー・カーズ (The New Cars)」を結成。カーズのヒット曲を中心に、トッド・ラングレンの旧ヒット曲やオリジナルの新作も少し加えてライブ活動を行っている。


== メンバー ==
== メンバー ==

2008年6月30日 (月) 22:06時点における版

カーズThe Cars)はアメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストン出身のロックバンド。バンド名は「全員、車好きだから」という理由から名付けられている。

概要

 長年共に活動を行ってきたリズムギター・ボーカルのリック・オケイセックとベース・ボーカルのベンジャミン・オールを中核に1976年に結成され、1978年にメジャー・デビューしたアメリカニューウェーブバンド。その革新的でユニークな音楽とレコードに劣らぬ音質の正確で高い技術のライブが話題をさらった。

 バンドが持っていった「燃える欲望 (Just What I Needed}」のデモテープを気に入った地元FM局の人気DJが自分の番組で繰り返しかけたところ、リクエストが殺到し、レコード会社の注目を集め、この曲をデビューシングルとしてカーズはセンセーショナルにデビューを飾った。

「錯乱のドライブ/カーズ登場 (The Cars)」 (6Xプラチナディスク獲得) 「キャンディ・オーに捧ぐ (Candy-O)」 (全米アルバムチャート最高3位)、 グラミー賞新人賞にノミネートされるなど、デビュー作から立て続けにヒットを続け、その地位を確立していった。最初の2枚のアルバムはロック色が強かったが、3枚目では実験音楽的要素が強まり、4枚目5枚目ではポップ色が強まっていっており、その音楽のタイプはアルバム毎にどんどん変化していった。MTVが開局してからは、ユニークなミュージックビデオが評判を呼び、次々大ヒットが生まれた。5枚目のアルバム「ハートビートシティ (Heartbeat City)」 (全米アルバムチャート最高3位) からは、4曲のヒットがチャートを賑わせた。中でも1984年シングル「ユー・マイト・シンク (You Might Think)」は、多くの強敵を押しのけ第1回MTVアウォードを受賞した(この年はマイケル・ジャクソンの「スリラー」や、シンディ・ローパーの「ガールズ・ジャスト・ワナ・ハブ・ファン」やマドンナなどが候補に挙がっていた)。カーズの最大のヒットとなった「ドライブ (Drive)」は、1985年のライブエイドのテーマ曲としても選ばれ、この曲にあわせてエチオピア飢餓の映像のビデオが、デビット・ボウィの司会で世界中に流されるなど、特別な注目も集めた。 しかし、日本での人気は、アメリカではかなりの実績があるにも関わらず低い。

 作詞・作曲は全般的にリック・オケイセックが担当しているが、作曲の一部やジャケットデザインなどは他のメンバーが担当している。アートワークの良さも評価されている。 リードボーカルは、リック・オケイセックとベンジャミン・オールの2人が曲により分けあっている。

1988年、2月カーズは記者会見や解散理由の説明もなくグループをすでに解散していることを確認した。最後にリリースされたアルバム「ドア・トゥ・ドア (Door to Door)」の音楽の方向性があまりにも多様化しすぎ、ファンが戸惑い、それまでのアルバムの売り上げに比べてセールスが伸びず (アメリカビルボードアルバムチャ-ト最高26位)、それに伴いツアーの観客動員数も減ってきたことにショックを受けた事が原因と言う説もあるが定かではない。 メンバーはその後、ソロ活動などで活躍。ベンジャミン・オールが癌で死亡したため、完全な形での再結成は不可能となった。

2005年、カーズのオリジナルメンバーのエリオット・イーストン (ギター)、グレッグ・ホークス (キーボード)が再結成を拒否したリック・オケイセックと、ベンジャミン・オールの代わりのボーカルとしてトッド・ラングレンを迎えて「ニュー・カーズ (The New Cars)」を結成。カーズのヒット曲を中心に、トッド・ラングレンの旧ヒット曲やオリジナルの新作も少し加えてライブ活動を行っている。

メンバー

解散後は、ソロ活動の他、ウィーザーのプロデューサーとしても手腕を発揮している。妻は元スーパーモデルのPaulina Porizkova
  • ベンジャミン・オール (Benjamin Orr 1947年8月9日-2000年10月3日) - ボーカル/ベース
カーズの代表曲「燃える欲望(Just What I Needed)」「ドライヴ(Drive)」などではリードボーカルを担当している。2000年10月3日、すい臓ガンのため死去。
  • エリオット・イーストン (Elliot Easton 1953年12月18日生) - ギター
  • グレッグ・ホークス (Greg Hawkes 1952年10月22日生) - キーボード
  • デビッド・ロビンソン (David Robinson ) - ドラム
解散後は音楽業界から引退。中古車の販売をしているとの噂もある。

ディスコグラフィー

スタジオ・アルバム

コンピレーション