「パオロ・バリッラ」の版間の差分
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2008年6月18日 (水) 19:59時点における版
F1での経歴 | |
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国籍 | イタリア |
所属チーム | ミナルディ |
活動時期 | 1989 - 1990 |
出走回数 | 9 |
優勝回数 | 0 |
通算獲得ポイント | 0 |
表彰台(3位以内)回数 | 0 |
ポールポジション | 0 |
ファステストラップ | 0 |
F1デビュー戦 | 1989年日本GP |
初勝利 | - |
最終勝利 | - |
最終戦 | 1990年ベルギーGP |
タイトル | 0 |
パオロ・バリッラ(Paolo Barilla, 1961年4月20日 - )はイタリア生まれの元F1ドライバー。現在、父ピエトロの指導でイタリアの食品会社バリラの副社長をしている。
プロフィール
1985年のル・マン24時間レースで優勝し、1989年の日本GPにおいてミナルディからF1デビュー。翌1990年もミナルディからF1に参戦するが、14戦エントリーして予選通過が8戦と成績はあまり振るわなかった。1990年のアメリカGPでは、体調不良を理由にリタイヤを喫している。
1987 - 1989年には全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権(JSPC)に参戦した。 また、1989年には中嶋企画から全日本F3000選手権に参戦し、ランキング11位(最高位2位)を獲得するなど、日本のレース界との関わりも少なくない。
1989年はブリヂストンと無限F1エンジンのテストドライバーもこなした[1]。
バリラ社の御曹司でありながら、直接的な支援を受けず、スポンサーはあくまでも自前で用意していた(ネームバリュー含め、間接的にはあったかもしれないが)。そのため、黒一色のデザインのヘルメットにはあまり大きなステッカーがつかず、地味さにより一層の拍車がかかっていた。
現在はバリラの副社長業の傍らドライバー活動も散発的ながら継続しており、2004年にはパリ・ダカールラリーにメルセデスのトラックを駆って出場している。