「ニコラス・キーファー」の版間の差分
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|出身地=同・ホルツミンデン |
|出身地=同・ホルツミンデン |
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|体重=80kg |
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2008年5月26日 (月) 17:46時点における版
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ニコラス・キーファー | ||||
基本情報 | ||||
愛称 | キーウィ (Kiwi) | |||
国籍 | ドイツ | |||
出身地 | 同・ホルツミンデン | |||
生年月日 | 1977年7月5日(46歳) | |||
身長 | 182cm | |||
体重 | 80kg | |||
利き手 | 右 | |||
バックハンド | 両手打ち | |||
ツアー経歴 | ||||
デビュー年 | 1995年 | |||
ツアー通算 | 9勝 | |||
シングルス | 6勝 | |||
ダブルス | 3勝 | |||
生涯獲得賞金 | 7,480,465 アメリカ合衆国ドル | |||
4大大会最高成績・シングルス | ||||
全豪 | ベスト4(2006) | |||
全仏 | 4回戦(2005) | |||
全英 | ベスト8(1997) | |||
全米 | ベスト8(2000) | |||
キャリア自己最高ランキング | ||||
シングルス | 4位 | |||
ダブルス | 56位 | |||
オリンピック | ||
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男子 テニス | ||
銀 | 2004 | ダブルス |
ニコラス・キーファー(Nicolas Kiefer, 1977年7月5日 - )は、ドイツ・ホルツミンデン出身の男子プロテニス選手。これまでにATPツアーでシングルス6勝、ダブルス3勝を挙げている。シングルス自己最高ランキングは4位。身長182cm、体重80kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。
6歳からテニスを始め、1993年に16歳でドイツのジュニア・チャンピオンになった。1995年に全豪オープンと全米オープンの男子ジュニア部門で優勝し、同年にプロ入り。1997年のウィンブルドン選手権で初のベスト8進出を果たす。この大会で、長年ドイツの男子テニス界をリードしてきた2強豪ボリス・ベッカーとミヒャエル・シュティヒが同時に現役引退を表明したため、後継者としてのキーファーは地元ファンの大きな期待を集め始めた。(ベッカーの実際の現役引退はその2年後、1999年ウィンブルドンの終了後であった。)同年9月、フランス・トゥールーズの大会でツアー初優勝を果たす。1998年には全豪オープンでも8強入り。1999年に年間3勝を挙げたが、その中には4月に日本の東京で開かれた「ジャパン・オープン」の優勝が含まれている。2000年は全豪オープンと全米オープンで準々決勝に進出し、年間2勝を記録した。だが、2001年以後のキーファーは男子テニスツアーで9度の準優勝止まりになっている。2005年のシーズンも2度決勝進出があったが、なかなかツアー7勝目に手が届かない不運さがある。
2006年の全豪オープンで、キーファーはついに4大大会の自己最高成績となるベスト4進出を果たした。その準決勝では第1シードのロジャー・フェデラーに 3-6, 7-5, 0-6, 2-6 で敗れ、決勝進出はならなかった。しかし、全仏オープン3回戦でトマシュ・ベルディヒ(チェコ)に敗れた試合の後、故障による戦線離脱を余儀なくされた。2007年は10月の「マドリード・マスターズ」でベスト4に入っている。
ニコラス・キーファーはオリンピックのドイツ代表選手として、2000年シドニー五輪と2004年アテネ五輪に出場を果たしている。アテネ五輪ではライナー・シュットラーとペアを組んで、男子ダブルスの銀メダルを獲得した。この時の決勝戦では、2人はチリ代表のニコラス・マスーとフェルナンド・ゴンザレス組に 2-6, 6-4, 6-3, 6-7, 4-6 のフルセットで敗れた。
ドイツのテニス界は、1980年代中盤から始まった“黄金期”を支えてきたスター選手たちの引退で苦境を迎えている。1985年にボリス・ベッカーがウィンブルドンに史上最年少の「17歳7ヶ月」で初優勝を遂げ、1988年にシュテフィ・グラフが女子テニス史上3人目の年間グランドスラムを達成し、1991年にはウィンブルドンの男子シングルス決勝でベッカーとミヒャエル・シュティヒによる「ドイツ対決」が実現した。しかし1997年にシュティヒが現役を引退し、1999年夏にベッカーとグラフが相次いで引退表明、そして2001年には女子のナンバー2だったアンケ・フーバーも現役引退したため、キーファーと彼のライバルであるトミー・ハースや、2003年の全豪オープン準優勝者ライナー・シュットラーには地元ファンから大きな期待が寄せられている。
関連項目
外部リンク
- ニコラス・キーファー - ATPツアーのプロフィール (英語)
- デビスカップ成績表