「ロベルト・バルボン」の版間の差分

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!年度!!チーム!!試合!!打数!!得点!!安打!!二塁<br />打!!三塁<br />打!!本塁<br />打!!塁打!!打点!!盗塁!!犠打!!犠飛!!四死<br />球!!三振!!打率(順位)
!年度!!チーム!!背<br />番<br />号!!試合!!打数!!得点!!安打!!二塁<br />打!!三塁<br />打!!本塁<br />打!!塁打!!打点!!盗塁!!犠打!!犠飛!!四死<br />球!!三振!!打率(順位)
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|[[1955年]]||rowspan="10" style="text-align: center;"|[[オリックス・バファローズ|阪急]]||141||'''583'''||'''105'''||'''163'''||23||'''13'''||5||227||48||49||9||6||58||70||.280(17)
|[[1955年]]||rowspan="10" style="text-align: center;"|[[オリックス・バファローズ|阪急]]||rowspan="7" style="text-align: center;"|8||141||'''583'''||'''105'''||'''163'''||23||'''13'''||5||227||48||49||9||6||58||70||.280(17)
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|[[1956年]]||152||590||'''94'''||141||26||8||6||201||31||55||12||3||66||77||.239(29)
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|[[1961年]]||120||391||41||84||12||2||0||100||12||20||6||1||21||69||.215
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|[[1962年]]||107||310||36||74||11||3||3||100||15||14||6||0||17||38||.239
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|[[1963年]]||114||299||26||67||9||3||3||91||22||14||1||0||27||45||.224
|[[1963年]]||114||299||26||67||9||3||3||91||22||14||1||0||27||45||.224
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|[[1964年]]||96||172||23||49||5||1||0||56||10||4||3||1||6||20||.285
|[[1964年]]||96||172||23||49||5||1||0||56||10||4||3||1||6||20||.285
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|[[1965年]]||style="text-align: center;"|[[大阪近鉄バファローズ|近鉄]]||125||459||50||106||12||2||1||125||15||11||10||0||25||54||.231(28)
|[[1965年]]||style="text-align: center;"|[[大阪近鉄バファローズ|近鉄]]||rowspan="1" style="text-align: center;"|14||125||459||50||106||12||2||1||125||15||11||10||0||25||54||.231(28)
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!colspan="2"|通算成績
!colspan="3"|通算成績
|1353||4666||644||1123||166||52||33||1492||260||308||74||17||397||608||.241
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==タイトル・表彰・記録==
==タイトル・表彰・記録==
*盗塁王:3回(1958~1960)
*盗塁王:3回 (1958~1960)
**現在に至るまで、外国人選手で盗塁王となっているのはバルボンと[[ラリー・レインズ|レインズ]]の2人のみ。いずれも阪急所属時に記録している。
**現在に至るまで、外国人選手で盗塁王となっているのはバルボンと[[ラリー・レインズ|レインズ]]の2人のみ。いずれも阪急所属時に記録している。


*[[ベストナイン (日本プロ野球)|ベストナイン]]:1回(1958)
*[[ベストナイン (日本プロ野球)|ベストナイン]]:1回 (1958)
*[[オールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]選出:2回(1958~1959)
*[[オールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]選出:2回 (1958~1959)
*外国人試合出場 1353試合(歴代2位)
*外国人試合出場 1353試合(歴代2位)



2008年4月15日 (火) 13:43時点における版

ロベルト・バルボンRoberto Barbon, 1933年3月13日 - )はキューバ出身のプロ野球選手内野手)。右投げ右打ち。愛称は「チコ(Chico)」(スペイン語で「坊や」「チビ」などの意)。「チコ・バルボンChico Barbon)」とも。

来歴・人物

1955年阪急ブレーブスに入団。1年目から49盗塁するなど俊足を武器に活躍。1958年(38盗塁)、1959年(38盗塁)、1960年(35盗塁)と3度の盗塁王1964年に1000本安打を達成。翌1965年近鉄バファローズに移籍、同年引退した。

2007年5月10日に、オリックスのタフィ・ローズが1354試合出場を果たすまでは、歴代外国人選手のトップの最多出場数1353試合であった。

性格が明るく「チコ」と呼ばれて親しまれた。在籍中に日本語(関西弁)をマスターし、祖国でキューバ革命が起こったこともあって引退後も日本で生活。ボビー・マルカーノが阪急に入団した1975年スペイン語通訳の仕事で阪急に復帰。以後も阪急・オリックスを通じて球団職員として勤務。現在はオリックス野球教室校長。2005年にはNPB12球団ジュニアトーナメントにオリックスJr.監督として出場した。野球エージェントとなっているブーマー・ウェルズの通訳なども務めた事がある。最近ではアレックス・カブレラの通訳兼教育係として元気な姿を見せている。

既に50年以上日本に在住しており、非常に流暢でギャグも交えた関西弁を喋る(この為「関西人より関西弁に精通している」とまで評された)。通訳をしていた頃、その関西弁と、あまりにアバウトな訳のため、関西人の間では常に笑いの種にされていた愛嬌のある人物でもある。

サンテレビボックス席』の第1回放送での解説者であり、また現役中の1964年には渥美清主演の映画『続・拝啓天皇陛下様』に連合軍兵士の役で出演している。

浜田雅功らが司会を努めるフジテレビ系のスポーツバラエティ番組『ジャンクSPORTS』に出演歴あり。

背番号

  • 8 (1955年~1961年)
  • 4 (1962年~1964年、1974年)
  • 14 (1965年)
  • 73 (1975年)

年度別打撃成績

  • 表中の太字はリーグ最多数字
年度 チーム

試合 打数 得点 安打 二塁
三塁
本塁
塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四死
三振 打率(順位)
1955年 阪急 8 141 583 105 163 23 13 5 227 48 49 9 6 58 70 .280(17)
1956年 152 590 94 141 26 8 6 201 31 55 12 3 66 77 .239(29)
1957年 122 479 75 102 16 3 8 148 30 33 6 2 57 66 .213(27)
1958年 128 515 76 138 27 10 4 197 32 38 6 2 48 64 .268(11)
1959年 132 481 66 112 11 3 2 135 23 38 7 1 35 51 .233(23)
1960年 116 387 52 87 14 4 1 112 22 32 8 1 37 54 .225(28)
1961年 120 391 41 84 12 2 0 100 12 20 6 1 21 69 .215
1962年 4 107 310 36 74 11 3 3 100 15 14 6 0 17 38 .239
1963年 114 299 26 67 9 3 3 91 22 14 1 0 27 45 .224
1964年 96 172 23 49 5 1 0 56 10 4 3 1 6 20 .285
1965年 近鉄 14 125 459 50 106 12 2 1 125 15 11 10 0 25 54 .231(28)
通算成績 1353 4666 644 1123 166 52 33 1492 260 308 74 17 397 608 .241

タイトル・表彰・記録

  • 盗塁王:3回 (1958~1960)
    • 現在に至るまで、外国人選手で盗塁王となっているのはバルボンとレインズの2人のみ。いずれも阪急所属時に記録している。

関連項目

外部リンク

先代
河野旭輝
パ・リーグ盗塁王
1958年60年
次代
広瀬叔功