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*現在居住している自治体が、[[2000年]]の[[東海豪雨]]を教訓に毎日夕刻に実施している[[防災無線]]のテスト放送に対し、「毎日テストする必要はなく、静かな生活を侵害された」として中止を求める訴訟を起こしたが、[[2005年]]に[[最高裁]]で敗訴が確定した。
*現在居住している自治体が、[[2000年]]の[[東海豪雨]]を教訓に毎日夕刻に実施している[[防災無線]]のテスト放送に対し、「毎日テストする必要はなく、静かな生活を侵害された」として中止を求める訴訟を起こしたが、[[2005年]]に[[最高裁]]で敗訴が確定した。
*一時期「[[朝まで生テレビ!]]」によく出演していた。
*一時期「[[朝まで生テレビ!]]」によく出演していた。
*「[[どですか!]]」([[名古屋テレビ]])にコメンテーターとして出演していたことがある。(土曜日、月に回、200712月まで約年間)
*「[[どですか!]]」([[名古屋テレビ]])にコメンテーターとして出演していたことがある。(土曜日、月に1回、200712月まで約2年間)
*2006年11月にオープンした「[[京都国際マンガミュージアム]]」の研究顧問である。
*2006年11月にオープンした「[[京都国際マンガミュージアム]]」の研究顧問である。
*2007年10月4日より[[朝日新聞]]夕刊(木曜日)に「ナゴヤ 虚と実」を連載。
*2007年10月4日より[[朝日新聞]]夕刊(木曜日)に「ナゴヤ 虚と実」を連載。

2008年2月3日 (日) 14:29時点における版

呉 智英(くれ ともふさ、1946年9月19日 - )は、愛知県清須市出身の評論家漫画評論家、日本マンガ学会会長である。本名は新崎 智(しんざき さとし)。ペンネームは「ご・ちえい」という読みも許容している[1]。1946年生まれは確かだが、個人データを勝手に占いに使われるのを嫌い、生まれた月日や血液型を公表しておらず、10月21日生まれという説もある。封建主義者を自称し、民主主義人権概念を批判している。

経歴

愛知県西枇杷島町(現・清須市)生まれ。東海高校を経て1971年に早稲田大学法学部を卒業。高校時代に日本教職員組合の教師から共産主義の教えを受け、学生運動では日本共産党にも既存の新左翼の組織にも所属せず、無党派の活動家として新左翼運動に参加。大衆迎合主義や日本共産党の党派性を批判した。早稲田大学の学費値上げなどを巡るストライキを防衛しようと、スト破りをしようとする運動部の学生と乱闘して逮捕、起訴。1969年に執行猶予つきの有罪判決を受けた。友人の始めたコンピュータ会社などの勤務を経て、文筆業に入る。

1981年に初の単著となる『封建主義、その論理と情熱』(改題で『封建主義者かく語りき』)を情報センター出版局から刊行。これは当時一般に信じられていた民主主義人権論の矛盾を追及し、脱却する道として封建主義(主に、孔子の唱えた儒教)を提唱する内容だった。「差別は正しい」と主張している。

漫画にも造詣が深く、水木しげるの資料整理のアルバイトを1970年から10年ほどしていた。1973年に『ガロ』誌上で「劇画列仙傳」の連載を開始。1986年には漫画研究の集大成として情報センター出版局から『現代マンガの全体像』を刊行した。出版情報誌『ダ・ヴィンチ』(メディアファクトリー)に「マンガ狂につける薬」を連載中。ただ少女マンガは苦手のようで、あまり取り上げない。また、90年代以降の漫画作品に関しても積極的に取り上げていない。

論語聖書を愛読し、これらから近代批判の思想を読み取っている。1988年に都内で論語を講義する公開講座「以費塾」を、呉に私淑する評論家浅羽通明の手配で開始。月2回、第2、4金曜日に講義がおこなわれ(但し、8月は大学生の夏休みを考慮し休講)、23回前後で論語を通読する内容。2005年9月9日より始まった第14期が最終講義となり、2006年12月22日、終了した。2003年に刊行した『現代人の論語』(文藝春秋)にて、その講義内容の一端を読むことができる。

西池袋に長く住んだが、1999年、父親の介護のため、愛知県に転居した。その父親は、2006年1月に亡くなったが、現在も同所に居住中である。

呉の民主主義批判の影響は大きく、40代の評論家に最も尊敬されている知識人とされ、その思想的影響を受けたものとして浅羽通明大月隆寛宮崎哲弥などがいる。小谷野敦も呉を尊敬していると公言している。

評論

漫画

漫画評論家として主に1960年代から1980年代の少年・青年漫画を取り上げてきたが、漫画が多様化してきた1990年代以降の作品に関しては、興味を失い積極的に取り上げていないと『ダ・カーポ』誌上で語った。特に人気作品である「クレヨンしんちゃん」に関してはまったく理解不能として評価しておらず、「なんであんな作品に人気があるのかさっぱり判らない」、「あの作品に人気がある事にイライラさせられている」と発言している。

支那

支那という呼称を使っていけない理由はないと長年主張しており、これを自主規制するマスコミへの抵抗の意を込めて、常に支那と書いている。そのために多くのマスコミへの寄稿を困難にしているが、主張を貫いている。近年は毎日新聞紙上で支那を使用したが、抗議は来なかったとのことである。また、「支那を『支那』と呼んで何が差別なのか」としており、その論理としては、1946年6月に中華民国東京に代表団を派遣し、「この時より『支那』の名称を使用することを禁ずる」とした日本外務省への通告に対し、「真っ先に文句を言うべき相手は、アヘン戦争を仕掛けて香港を奪ったイギリスや、マカオ植民地にしたポルトガルじゃないですか。それらの国が支那のことを『チャイナ』とか『シーナ』と呼んでいることに対しては一つも文句を言わないで日本にだけ言うのは、明らかに日本人に対する差別でしょう」としている[2]

人権

2006年11月26日付の産経新聞で、いじめ問題について「被害者が自ら死を選ぶなんてバカなことがあるか。死ぬべきは加害者の方だ。いじめられている諸君、自殺するぐらいなら復讐せよ。死刑にはならないぞ、少年法が君たちを守ってくれるから」と発言し[3]、物議を醸した。この発言は「死刑を廃止して仇討ちの復活を」という、呉のデビュー以来一貫した主張に基づくものといえる。

思想

共産主義民主主義人権思想は同根のものである」としており、その論理としては、「フランス革命、そしてそれに先立つ啓蒙思想に端を発」する、「具体的な『解放』の積み重ねがやがて全面的な『人間性の解放』となって歴史の彼方に実現する」という考え、「つまり『人間性解放の神話』」が、「東回りでロシヤに入って共産主義となり、西回りでアメリカに入って人権論となったわけです」としている[2]

エピソード

  • 独身である。常に上機嫌。メガネをかけた女が好き。糖尿病をわずらっている。野球と占いが嫌い。腕時計収集が趣味。歌手、中島みゆきの熱狂的なファン。
  • ハゲであり、ハゲに関する座談会にも数回参加している。
  • 学歴に関する話が大好き。呉自身は早稲田大学卒だが、「東大は偉い」が持論。
  • 暴走万葉仮名(画数が多く無理読みの漢字を使った名前を呉がこう独自に呼んだ)の女子学生が多い大学は偏差値が低い(傾向にある)と発言した。
  • 漫画家、小林よしのりの漫画「ゴーマニズム宣言」にたびたび登場し、知名度が上がった。
  • 本人の弁によると、学生運動では「軍人の位で言うと大佐ぐらいだった」とのこと。当時の呉の様子は早大の同学年だった宮崎学が『突破者』(南風社、1996年)で描いており、長髪の美男子とされている。
  • コラムニストの中野翠とは早大の同級生で友人。
  • 現在居住している自治体が、2000年東海豪雨を教訓に毎日夕刻に実施している防災無線のテスト放送に対し、「毎日テストする必要はなく、静かな生活を侵害された」として中止を求める訴訟を起こしたが、2005年最高裁で敗訴が確定した。
  • 一時期「朝まで生テレビ!」によく出演していた。
  • どですか!」(名古屋テレビ)にコメンテーターとして出演していたことがある。(土曜日、月に1回、2007年12月まで約2年間)
  • 2006年11月にオープンした「京都国際マンガミュージアム」の研究顧問である。
  • 2007年10月4日より朝日新聞夕刊(木曜日)に「ナゴヤ 虚と実」を連載。

著書

単著

  • 『封建主義 その論理と情熱』(情報センター出版局、1981、改題して『封建主義者かく語りき』、史輝出版、1991、さらに双葉社、双葉文庫、1996) ISBN 4575710776
  • 『インテリ大戦争』(JICC出版局、1982、後にJICC出版局、宝島ブックス版、1984)
  • 『読書家の新技術』(情報センター出版局、1982、のち朝日新聞社、朝日文庫、1982) ISBN 4022604697
  • 『マンガ家になるには 新版―付・アニメ作家 なるにはBOOKS』(ぺりかん社、1983)
  • 『大衆食堂の人々』(情報センター出版局、1984、のち双葉社、双葉文庫、1996) ISBN 4575710784
  • 『現代マンガの全体像』(情報センター出版局、1986、のち「増補版」として史輝出版、1990、双葉社、双葉文庫、1997) ISBN 4575710903
  • 『バカにつける薬』(双葉社、1988、のち双葉文庫、1996) ISBN 457571075X
  • 『サルの正義』(双葉社、1993、のち双葉文庫、1996) ISBN 4575710768
  • 『知の収穫』(メディアファクトリー、1993、のち双葉社、双葉文庫、1997) ISBN 4575710911
  • 『言葉につける薬』(双葉社、1994、のち双葉文庫、1998)ISBN 4575711101
  • 『賢者の誘惑』(双葉社、1995、のち双葉文庫、1998) ISBN 4575711276
  • 『マンガ狂につける薬』(リクルート、1998) ISBN 4889915478
  • 『危険な思想家』(メディアワークス、1998、のち双葉文庫、2000) ISBN 4575711772
  • 『ロゴスの名はロゴス』(メディアファクトリー、1999、のち双葉文庫、2001) ISBN 4575711993
  • 『ホントの話』(小学館、2001、のち小学館文庫、2003)ISBN 4094055819
  • 『マンガ狂につける薬21』(メディアファクトリー、2002) ISBN 484010543X
  • 犬儒派だもの』(双葉社、2003、のち双葉文庫、2006) ISBN 4575295248
  • 『現代人の論語』(文藝春秋、2003、のち文春文庫、2006) ISBN 4163655700
  • 『言葉の常備薬』(双葉社、2004、のち双葉文庫、2007) ISBN 4575297364
  • 『マンガ狂につける薬 下学上達篇』(メディアファクトリー、2007)
  • 『健全なる精神』(双葉社、2007)

共著

脚注部

  1. ^ 1982年にJICC出版局から出した『インテリ大戦争』の表紙裏の著者紹介では、ペンネームの読みを「ごちえい」とし、「くれともふさ」という読みも認めている。
  2. ^ a b 『ホントの話』
  3. ^ このコラムは『健全なる精神』(双葉社、2007)に収録されている。

外部リンク