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'''ジョージ・ワシントン級原子力潜水艦'''(ジョージ・ワシントンきゅうげんしりょくせんすいかん、'''George Washinton class submarine''')は[[アメリカ海軍]]の弾道ミサイル[[原子力潜水艦]]。アメリカ海軍の用語によれば艦隊弾道ミサイル潜水艦(FBM: Fleet Balistic Missile Submarine)。世界初の弾道ミサイル原子力潜水艦である。


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2008年1月5日 (土) 17:37時点における版

ジョージ・ワシントン級原子力潜水艦
水上航走中のUSSジョージ・ワシントン(SSBN-598)
艦級概観
艦種 弾道ミサイル原子力潜水艦
計画番号 SCB180A
艦名 人名。1番艦はジョージ・ワシントンに因む。
同型艦 5隻(SSBN-598~602)
1番艦就役:1959年
前級 -
次級 イーサン・アレン級原子力潜水艦
性能諸元
排水量 水上:5,959t 水中:6,709t
全長 116.3m
全幅 10.1m
吃水 8.1m
予備浮力 12.6%
機関 原子力ギアード・タービン推進
WEC S5W 加圧水型原子炉×1基
タービン×2基/1軸、15,000SHP
電池 ガピーI型126個×1群
最大速力 (水上/水中):16kt / 22kt
潜航深度 213m
航続力
乗員 112名(士官12名、先任兵曹12名、下士官兵88名)
探索装置 ソナー:BQS-4、BQR-2B
電子戦機材:SS-2A、WLR-1
武装 ポラリス弾道ミサイル発射筒×16門
ミサイル射撃指揮装置:Mk80
のちにMk84
533mm水圧式Mk59魚雷発射管 6門
(搭載魚雷数:12)
水中射撃指揮装置:Mk112
のちにMk112 Mod2

ジョージ・ワシントン級原子力潜水艦(ジョージ・ワシントンきゅうげんしりょくせんすいかん、George Washinton class submarine)はアメリカ海軍の弾道ミサイル原子力潜水艦。アメリカ海軍の用語によれば艦隊弾道ミサイル潜水艦(FBM: Fleet Balistic Missile Submarine)。世界初の弾道ミサイル原子力潜水艦である。

1959年12月に1番艦が就役し、冷戦期のアメリカに、巨大な火力と強力な抑止力をもたらした。1960年代マクナマラ国防長官の核抑止政策のもと、後継のイーサン・アレン級ラファイエット級とともに「自由のための41隻(41 for Freedom)」の一翼をなし、冷戦下の水中核戦力におけるアメリカの優位の維持に寄与した。

概要

1957年12月31日、アメリカ海軍は、長射程戦略ミサイルで武装した原子力潜水艦の建造をエレクトリック・ボート社に発注した。エレクトリック・ボート社はこの要求に迅速に応えるべく、船台上で建造中であった2隻のスキップジャック級攻撃原潜の船体を流用することにした。

かかる経緯からして、ジョージ・ワシントン級とは本質的には、スキップジャック級の船体の航法指揮区画と動力区画との間に40mのミサイル区画(通称「シャーウッドの森 Sherwood Forest」)を挿入したものであり、全くの派生型である。とりわけ1番艦のジョージ・ワシントン(USS George Washington, SSBN-598)の場合、エレクトリック・ボート社の船台上で建造中であったスキップジャック級の「3番艦『スコーピオン』」になるはずだった船体を切断し、ミサイル区画を挿入する工事が行われており、上記のことが文字通りに当てはまる。しかし静粛性はスキップジャック級よりもはるかに優れており、放射雑音レベルは約15dB低い。当初は誘導ミサイル原子力潜水艦(SSGN)に類別されたが、1958年6月26日付で弾道ミサイル原子力潜水艦(SSBN)となった。

1番艦ジョージ・ワシントンは、1960年7月20日ポラリス・ミサイルの水中発射実験に成功し、11月15日には最初の戦略抑止哨戒に出動し、1961年1月21日に帰港した。続く2番艦パトリック・ヘンリー(USS Patrick Henry, SSBN-599)は1961年1月31日に戦略抑止哨戒に出動し、3月8日に帰港した。

搭載ミサイルは当初はポラリスA-1で、圧搾空気式のミサイル射出装置を装備した。1964年6月2日にジョージ・ワシントンの搭載ミサイルがA-3に換装されたのを皮切りに、1965年8月14日までに全艦が改装され、ポラリスA-3を運用するようになった。これに伴い、射撃指揮装置がMk84に、射出装置がガス発生式に、それぞれ改められた。1958年の決定により、本級に始まるアメリカの弾道ミサイル原潜は、稼働率向上のため2組(「ブルー」組と「ゴールド」組)の乗員により運用されるになった。

1981年、ジョージ・ワシントン、パトリック・ヘンリー、ロバート・E・リー(USS Robert E. Lee, SSBN-601)の3隻は、第二次戦略兵器制限交渉の制限に基づき、弾道ミサイル潜水艦の削減の実施されたことにより、戦略抑止哨戒任務から解役された。これに伴い、弾道ミサイル関連の装備は使用不能にされ(ミサイル発射筒はセメントで封鎖し、ミサイル射撃指揮装置は撤去、慣性航法装置の搭載数は2基から1基に減数)、かわって曳航アレイBQR-15を装備し、攻撃原潜に種別変更され、退役までの日々を主に訓練任務に従事しつつ過ごした。

ネームシップのジョージ・ワシントンは、鹿児島県沖の東シナ海に浮かぶ下甑島付近を航行中であった1981年4月9日、日本の愛媛県の海運会社が所有していた貨物船日昇丸(2,350t)と衝突し沈没させる事故を起こしている。また軍事機密が露見するのを恐れて現場から救助せず立ち去ったため、船長ら2名が死亡した。詳細は米原潜当て逃げ事件を参照のこと。

同型艦

外部リンク

関連項目