牧野久仲
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時代 | 戦国時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
別名 | 弾正左衛門、弾正忠、宗仲 |
幕府 | 室町幕府 陸奥守護代 |
主君 | 伊達稙宗、晴宗、輝宗 |
氏族 | 中野氏、牧野氏 |
父母 | 中野宗時、牧野景仲 |
兄弟 | 中野親時、久仲 |
子 | 為仲 |
牧野 久仲(まきの ひさなか)は、戦国時代の武将。伊達氏重臣。陸奥国守護代。出羽国長井郡小松城主。
生涯
[編集]伊達氏重臣・中野宗時の二男として誕生した。
久仲は伊達氏の守護代を務める名族である牧野氏の養嗣子となり、父宗時と同じく伊達家中で大いに権勢を振るった。永禄13年/元亀元年(1570年)、晴宗を継いだ伊達輝宗に不満を抱いた宗時は反乱を起こし、久仲もこれに同調したが失敗し、共に流浪の身となる。輝宗に帰参を願い出たが、生涯許されることはなかった。
その後の牧野氏
[編集]牧野家は輝宗没後、伊達政宗の代になってようやく帰参が許され、久仲の孫・盛仲は文禄2年(1593年)に文禄の役の軍功により200石を与えられ、宿老の家格に復帰した。のちに盛仲は加美郡宮崎城主となって2,000石余に加増され、弟の友重に宮城郡竹谷(現:松島町竹谷)など468石余を分与して別家を興させている(竹谷牧野氏)。
牧野氏は盛仲の子・茂仲の代にさらに2,500石まで加増されたが、茂仲は慶安3年(1650年)に罪を得て改易され、宿老牧野家は再び御家断絶の憂き目に遭った。万治4年(1661年)4月、古内重安(茂仲の義弟)が、茂仲の子・重仲に自身の知行から500石を分与して牧野家を再興させたいと願い出て、平士の家格での牧野本家の再興が許された。
┏新田義綱 新田景綱━┫ ┗新田義直 ┏古内重安 桑折景長━━女子 ┃ 山口重如━┫ ┣━━━━女子 ┗女子 ┏中野親時 ┣━━━━牧野重仲 中野宗時━┫ ┏牧野盛仲━━牧野茂仲 ┗牧野久仲━━牧野為仲━┫ ┗牧野友重━━牧野友次
参考文献
[編集]- 『宮崎町史』(宮城県加美郡宮崎町、1973年)
- 『伊達世臣家譜』第二輯(仙台叢書刊行会、1937年)