河合谷村
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かあいだにむら 河合谷村 | |
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廃止日 | 1954年5月16日 |
廃止理由 |
編入合併 河合谷村 → 津幡町 |
現在の自治体 | 津幡町 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方(北陸地方) |
都道府県 | 石川県 |
郡 | 羽咋郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
1,736人 (1953年) |
隣接自治体 |
石川県:河北郡津幡町(旧英田村の区域)、金津村、高松町、羽咋郡南大海村、北大海村、北荘村 富山県:西礪波郡石動町、五位山村 |
河合谷村役場 | |
所在地 | 石川県羽咋郡河合谷村上河合 |
座標 | 北緯36度44分16秒 東経136度47分50秒 / 北緯36.73775度 東経136.79733度座標: 北緯36度44分16秒 東経136度47分50秒 / 北緯36.73775度 東経136.79733度 |
ウィキプロジェクト |
河合谷村(かあいだにむら)[1]は、石川県羽咋郡に存在した村。
村名はこの地域の通称に依った。現在の河北郡津幡町の中では、令制国の区分においては唯一能登国に属していた地域であり、能登国の中では一番南に位置していた。「かわいだにむら」とも称した。
地理
[編集]- 現在の津幡町の最北部、大海川の上流部に位置する。東方は富山県に接する。全体的に宝達丘陵南部の丘陵地。
- 現在は国道471号がこの地域を通る。
- 川:大海川、瓜生川
- 山:三国山 (324m)、焼山、河合山、興津峠
歴史
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、羽咋郡大田村、下河合村、上河合村、牛首村及び瓜生村の区域をもって、羽咋郡河合谷村が発足する。
- 1926年(大正15年)4月1日 - 全村民による禁酒が始まる。
- 1948年(昭和23年)7月25日 - 集中豪雨により大海川が増水。橋が流される[2]。
- 1952年(昭和27年)4月1日 - 高松駅までの村営バスの運行が開始される。
- 1954年(昭和29年)5月16日 - 河北郡津幡町に編入する。村役場のあったあとには、河合谷ふれあいセンター(津幡町役場河合谷出張所)がある。
禁酒村
[編集]1926年(大正15年)の4月1日から、河合谷村の全村民が小学校建築費を捻出するために禁酒を行った。
詳細は津幡町立河合谷小学校を参照。
脚注
[編集]- ^ 現在は河合谷ふれあいセンターホームページなどでは「かわいだに」と言う読み仮名になっているが、『角川日本地名大辞典 石川県』、『消えた市町村名辞典』(編者・楠原佑介)においては、「かあいだに」という読み仮名になっている。
- ^ 「北陸三県に豪雨禍」『朝日新聞』昭和23年7月26日.2面