江東区立元加賀小学校
表示
江東区立元加賀小学校 | |
---|---|
北緯35度40分55秒 東経139度48分29秒 / 北緯35.68201度 東経139.80817度座標: 北緯35度40分55秒 東経139度48分29秒 / 北緯35.68201度 東経139.80817度 | |
過去の名称 |
東京市元加賀尋常小学校 元加賀国民学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 江東区 |
設立年月日 | 1907年9月 |
共学・別学 | 男女共学 |
学校コード | B113210800105 |
小学校コード | 208110[1] |
所在地 | 〒135-0021 |
東京都江東区白河四丁目3番19号 | |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
江東区立元加賀小学校(こうとうくりつ もとかがしょうがっこう)は、東京都江東区白河四丁目に所在する区立小学校。
概要
[編集]1907年に開校。開校地の地名にちなみ「元加賀」という校名がつけられた[2]。 全校児童数は758名(25学級・2023年5月1日(令和5年度)時点)。学校の周辺には木場公園や東京都現代美術館が所在している。
沿革
[編集]略歴
[編集]- 1907年(明治40年)
- 9月11日 - 東京市元加賀尋常小学校として東京市元加賀町15番地(今の三好3丁目5番地)に竣工。
- 11月9日 - 開校式を挙行し、この日(11月9日)を開校記念日と定めた。
- 1923年(大正12年)9月1日 - 関東大震災によりり災。火災により校舎全焼(初代)。
- 1927年(昭和2年) - 新校舎完成により深川東大工町48番地へ新築移転(2代目)。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 元加賀国民学校に改称。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 江東区立元加賀小学校に改称。
- 1974年(昭和49年)6月1日 - 現在の校舎竣工(3代目)。
年表
[編集]- 1907年(明治40年)
- 1908年(明治41年) - 1周年記念として校歌制定、校旗(初代)作成[2]。
- 1910年(明治43年)3月 - 東京市元加賀尋常小学校児童保護者会創設、初代会長に高橋俊太氏就任[4]。
- 1923年(大正12年)9月1日 - 関東大震災の火災により校舎全焼(初代木造校舎)[2]。
- 1927年(昭和2年)
- 1932年(昭和7年)
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 元加賀国民学校と改称。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 江東区立元加賀小学校と改称。
- 1948年(昭和23年)
- 1949年(昭和24年) - 江東区で初となる心身障害児教育学級「仲よし学級」を校舎内に併設し開設[11]。
- 1969年(昭和44年) - 併設幼稚園として校舎内に元加賀幼稚園が開園し、校長が園長を兼務[2]。
- 1971年(昭和47年) - 校舎建替工事開始。
- 校舎の建替えは東側、西側の順に建築が行われた。東側建築工事中に現在の体育館裏にある集合住宅住民(現在のUR イーストコモンズ清澄白河セントラルタワー)より、屋内プールの屋根が高く日陰となるとして日照権侵害による反対運動があり計画変更となった。現在の職員室付近に4階建校舎の最上階に室内温水プールを建設する計画であったが、設置場所を西側北部に変更して校舎を4階建てから3階建てとし、その屋上に屋根を無くした屋外プールとし温水ではない仕様に設計変更され竣工した。この為校舎北側は総4階建てとなる予定が最上階が連続しない歪な形となった。なお、1976年(昭和51年)隣接する扇橋小学校では屋内温水プールが竣工している。
- 1974年(昭和49年)6月1日 - 現在の校舎竣工(三代目鉄筋コンクリート造校舎)[4]。
- 1985年(昭和60年) - 元加賀幼稚園が現在の「プラザ元加賀」内に新築移転し、校舎内より転出となり併設幼稚園でなくなる[2]。
- 2005年(平成17年)3月31日 - 校長による元加賀幼稚園園長兼務を終了[2]。
- 2011年(平成23年) - 江東きっずクラブ元加賀を併設。「A登録の定数:無、B登録の定数:84名」として開設[12]。
- 2017年(平成29年)4月1日 - 児童数:379、学級数:12[13]。
学区
[編集]学区は以下の通りとなる(2019/4/4)[14][15]。
丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
白河三丁目 | 全域 | 江東区立元加賀小学校 | 江東区立深川第六中学校 |
白河四丁目 | 9番13~17号 | 江東区立深川第一中学校 | |
その他 | 江東区立深川第六中学校 | ||
三好三丁目 | 全域 | ||
三好四丁目 | 全域 | ||
平野三丁目 | 2番12号を除く | ||
平野四丁目 | 4番2号を除く |
校歌
[編集]校歌は二番から構成される。
制定
[編集]公式サイトでは1周年記念で校旗(1代目)と供に制定、25周年記念で校旗(2代目)と供に制定と2回、制定されたと記されている。現時点ではどちらが正しいか確認出来る情報が無い[16]
歌詞
[編集]一.
都のたつみ 大河近く
小名木 亥の堀 交わるほとり
立てる学びの庭に集いて
友よ学ばん いざ学ばん
二.
水郷 静けき 昔にかえて
大路小路は にぎわい盛る
人の力の跡をたたえて
友よ努めん いざ努めん
用語解説
[編集]都 ()のたつみ:本学の位置が皇居から辰巳の方角に位置している。大河 ()ちかく:隅田川のこの流域では大川(おおかわ)と称することもある小名木 () :小名木川のことで、本学の北側に位置し、東西に流れる運河で、昭和の中頃迄水運が賑わった亥の堀 ():現在の大横川のことで、かつてこの流域では亥の堀川と呼んでいた。1965年の河川法改正により大横川に統一された。本学の東側に位置し、南北に流れる運河である- 交わるほとり:小名木川、亥の堀川、の交差する地点の近くに本学が位置する
水郷 ():この付近では水運の発達により小名木川、亥の堀川、以外にも運河が碁盤の目の如く張り巡らされており、運河に沿って堀や、貯木場などが多数あった
交通
[編集]脚注
[編集]- ^ “平成30年度公立学校統計調査報告書・東京都公立学校一覧より学校コード”. 東京都教育庁総務部教育情報課 (2018年10月25日). 2020年6月18日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i “公式HP”. 江東区 (2020年4月6日). 2020年6月18日閲覧。
- ^ 。“小学校令改正”. 国立公文書館 (2020年6月23日). 2020年6月23日閲覧。
- ^ a b c d e もとかが開校七十周年記念誌
- ^ “gooブログ:おやじのつぶやき/震災復興52小公園。その2”. gooブログ (2013年10月9日). 2020年6月28日閲覧。
- ^ “関東大震災 - 震災復興データベース”. web.archive.org (2015年7月6日). 2020年10月3日閲覧。
- ^ 。江東区の地名由来 - 江東区
- ^ 1923 関東大震災【第3編】- 第1章 帝都復興の展開
- ^ 卒業アルバムむかしむかしその1
- ^ a b “扇橋小学校公式HP”. 江東区 (2018年3月30日). 2020年6月18日閲覧。
- ^ 学校概要 - 江東区立元加賀小学校
- ^ 学校概要 - 江東区立元加賀小学校
- ^ “公式HP”. 杉並区 (2017年4月1日). 2020年6月21日閲覧。
- ^ “区立小学校の通学区域”. 江東区 (2019年4月4日). 2019年8月30日閲覧。
- ^ “区立中学校の通学区域”. 江東区 (2019年4月4日). 2019年8月30日閲覧。
- ^ “公式HP”. 江東区 (2017年8月9日). 2020年6月25日閲覧。
- ^ “人事興信録. 5版 1918年(大正7年)”. 人事興信所(国立国会図書館デジタルコレクション蔵) (1918年11月11日). 2020年6月21日閲覧。
- ^ “気仙沼市立大島小学校公式HP”. 気仙沼市 (2020年6月27日). 2020年6月27日閲覧。
- ^ “公式HP”. 江東区 (2017年8月9日). 2020年6月18日閲覧。