横須賀市立衣笠小学校
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横須賀市立衣笠小学校 | |
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北緯35度15分19.1秒 東経139度39分49.2秒 / 北緯35.255306度 東経139.663667度座標: 北緯35度15分19.1秒 東経139度39分49.2秒 / 北緯35.255306度 東経139.663667度 | |
過去の名称 |
衣笠村立尋常衣笠小学枚 尋常高等衣笠小学校 衣笠尋常高等小学校 横須賀市立衣笠尋常高等小学枚 衣笠国民学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 横須賀市 |
設立年月日 | 1873年 |
創立記念日 | 11月10日 |
共学・別学 | 男女共学 |
分校 |
南分教場(1908年 - 1912年) 北分教場(1908年 - 1912年) 池上分教場(1928年 - 1934年) 分校(1959年 - 1962年) |
学期 | 2学期制 |
学校コード | B114220120204 |
所在地 | 〒238-0026 |
神奈川県横須賀市小矢部2-16-1 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
横須賀市立衣笠小学校(よこすかしりつ きぬがさしょうがっこう)とは、神奈川県横須賀市小矢部2-16-1にある市立小学校。
沿革
[編集]1908年に南衣笠小学校と北衣笠小学校が合併し、現在の所在地に開校した。
- 1908年(明治41年) - 南衣笠小学校と北衣笠小学校を合併、衣笠村立尋常衣笠小学枚に改称。両校の跡地は分教場となる。
- 1910年(明治43年) - 高等科を併設し、尋常高等衣笠小学校に改称。
- 1912年(明治45年) - 南北仮分教場を廃校。
- 1923年(大正12年) - 衣笠尋常高等小学校に改称。
- 1928年(昭和3年) - 池上分教場を設置。
- 1933年(昭和8年) - 衣笠村が横須賀市に編入されたため、横須賀市立衣笠尋常高等小学枚に改称。
- 1934年(昭和9年) - 池上分教場が池上尋常小学校として独立。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、横須賀市衣笠国民学校に改称。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革により現校名に改称。
- 1949年(昭和24年) - 横須賀市立公郷小学校が分離。
- 1959年(昭和34年) - 平作に分校を設置。
- 1962年(昭和37年) - 分校が横須賀市立城北小学校として独立。
- 1980年(昭和55年) - 横須賀市立岩戸小学校、横須賀市立森崎小学校、横須賀市立明浜小学校と共に横須賀市立大矢部小学校が分離。
- 2005年(平成17年) - 2学期制になる。
南衣笠小学校
[編集]- 1873年(明治6年) - 大矢部学舎として開校。
- 1876年(明治9年) - 大矢部学校に改称。
- 1891年(明治24年) - 尋常大矢部小学校に改称。
- 1896年(明治29年) - 尋常南衣笠小学校に改称。
北衣笠小学校
[編集]- 1873年(明治6年) - 金谷学舎として開校。
- 1876年(明治9年) - 金谷学校に改称。
- 1891年(明治24年) - 尋常金谷小学校に改称。
- 1896年(明治29年) - 尋常北衣笠小学校に改称。
通学区域
[編集]2014年度は以下の通りである[1]。
- 衣笠栄町1丁目、2丁目
- 小矢部1丁目(10番~14番を除く)、2丁目、3丁目(16番~27番を除く)、4丁目
- 衣笠町
また、以下の地域は他校の通学区域であるが、通うことができる[2]。
- 佐野町6丁目9~33番
- 公郷町2丁目7~11番
- 小矢部1丁目10~14番
- 山科台
進学先中学校
[編集]本校の通学区域の内、衣笠栄町と小矢部1丁目、2丁目、3丁目の一部、4丁目の一部がそれとなっているのは横須賀市立衣笠中学校、それ以外は横須賀市立大矢部中学校である。
小矢部町内会第14区は横須賀市立公郷中学校にも通うことができる。
- 衣笠中学校が通学区域の地域
- 横須賀市立公郷中学校
- 横須賀市立池上中学校
- 横須賀市立大矢部中学校
- 横須賀市立坂本中学校
- 横須賀市立不入斗中学校
- 大矢部中学校が通学区域の地域
- 横須賀市立公郷中学校
- 横須賀市立池上中学校
- 横須賀市立衣笠中学校
- 横須賀市立岩戸中学校
- 横須賀市立久里浜中学校
- 横須賀市立武山中学校
- 横須賀市立大楠中学校
交通
[編集]脚注
[編集]- ^ 通学区域一覧表(平成26年4月1日現在) - 横須賀市
- ^ 指定変更承認地域一覧表(平成26年1月1日現在) - 横須賀市
- ^ 中学校の学校選択制(平成27年度入学生) - 横須賀市