木島則夫ハプニングショー
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木島則夫ハプニングショー | |
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ジャンル | ワイドショー |
出演者 | 木島則夫 |
製作 | |
制作 | 日本テレビ |
放送 | |
放送国・地域 | 日本 |
放送期間 | 1968年5月18日 - 1968年10月12日 |
放送時間 | 土曜 22:30 - 23:30 |
放送分 | 60分 |
『木島則夫ハプニングショー』(きじまのりおハプニングショー)は、1968年5月18日から同年10月12日まで日本テレビ系列局で放送された生放送のワイドショー。木島則夫の冠番組。放送時間は土曜 22:30 - 23:30 (JST) 。
概要
[編集]「いま何が起こっているか」を視聴者に伝える番組として企画され、担当スタッフも報道・芸能・社会教養の3部門から集まって制作に取り組み、「常に生放送」「台本は作らない」をモットーに、ぶっつけ本番のカメラがとらえた素材を司会者が料理し、それをまたカメラが追うという型破りな番組[1]。NET(現:テレビ朝日)系列の『モーニングショー』を降板したての木島則夫が、新たに取り組んだ異色作。
司会
[編集]第1回でのエピソード
[編集]第1回は、当時アングラ劇場が流行し、ヒッピー・フーテン族がたむろする「新宿」をテーマに、新宿コマ劇場前に若者たちを集め、彼らと司会者のティーチ・インをもくろんだ。ところが、5000人を超える若者たちが集まり、コマ劇前は身動き出来ない大騒ぎと化し、司会者は発言を要求する若者たちに押され、近くの喫茶店へ逃げ込まざるを得なくなる。やがて開始20分後には、これを知った警視庁の第4機動隊が駆けつけ、警戒に当たった。もちろん、ライトを消して番組を中止すれば騒動は収まるわけだが、スタッフは、何が起ころうとあくまで写そうという姿勢を貫いた。
そして翌日の新聞は、社会面でこの騒ぎを報道し、「ハプニング」という言葉は当時の流行語となった[1]。
後年、この回の映像の一部が『NHK×日テレ 60番勝負』にて放送された。
脚注
[編集]- ^ a b 日本テレビ放送網株式会社社史編纂室 編『大衆とともに25年 沿革史』日本テレビ放送網、1978年8月28日、160 - 161頁。NDLJP:11954641/93。
関連項目
[編集]- 1968年のテレビ (日本)
- モーニングショー - 直前まで木島が担当したワイドショー。
日本テレビ系列 土曜22:30 - 23:30枠 | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
木島則夫ハプニングショー
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