智里村
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ちさとむら 智里村 | |
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廃止日 | 1956年9月30日 |
廃止理由 |
新設合併 会地村、智里村、伍和村 → 阿智村 |
現在の自治体 | 阿智村 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方(甲信越地方) |
都道府県 | 長野県 |
郡 | 下伊那郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 79.49 km2. |
総人口 |
2,587人 (国勢調査、1955年) |
隣接自治体 |
長野県下伊那郡会地村、伍和村、清内路村、浪合村、西筑摩郡神坂村、吾妻村 岐阜県恵那郡中津川町、落合村 |
智里村役場 | |
所在地 | 長野県下伊那郡智里村 |
座標 | 北緯35度26分44秒 東経137度43分06秒 / 北緯35.44556度 東経137.71822度座標: 北緯35度26分44秒 東経137度43分06秒 / 北緯35.44556度 東経137.71822度 |
ウィキプロジェクト |
智里村(ちさとむら)は、長野県下伊那郡にあった村。現在の阿智村大字智里にあたる。
地理
[編集]歴史
[編集]- 1875年(明治8年)1月23日 - 筑摩県伊那郡上中関村・小野川村・昼神村・中関村・駒場村・大野分、中野分が合併して阿知村となる。
- 1876年(明治9年)8月21日 - 阿知村が長野県の所属となる。
- 1879年(明治12年)1月4日 - 郡区町村編制法の施行により、阿知村が下伊那郡の所属となる。
- 1881年(明治14年)8月12日 - 阿知村が分割して駒場村・春日村・智里村となる(駒場村・春日村は後に会地村となる)。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、智里村が単独で自治体を形成。
- 1956年(昭和31年)9月30日 - 会地村・伍和村と合併して阿智村が発足。同日智里村廃止。
交通
[編集]現在は旧村域に中央自動車道の園原インターチェンジが所在するが、当時は未開通。
村歌
[編集]神つ神代をたふとくも 仰く神坂や恵那が岳 古き昔をゆかしくも 忍ぶ園原阿知の川 進み行く世のならひとて 今は伏谷のいぶせきも |
教えの庭の帚木に 清められつる智里村 学びの兒等の新玉の 磨けば光る木賊山 やがては玉の柱とも はげみてならむ旭松 |
得は日毎に姿見の 池の心にかえりみて 知識は秋の月見堂 曇りなき迄おさめてん 勇気はたけく昼神の 尊の如く生々し立て |
世のなりはひを怠らず 黄金の岩築かまし わが父母をあらはして 錦を家にかざる時 つなぐや駒のいななきに 裏山桜匂ふらん |
人物
[編集]おもな出身者
[編集]- 田中秀雄 - 陸上競技選手(長距離走)、1936年ベルリンオリンピック日本代表選手。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 角川日本地名大辞典 20 長野県
- 『智里村誌』 智里村青年会編 代表 石原衛 智里村青年会発行 1934年(昭和9年)