日進村
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にっしんむら 日進村 | |
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廃止日 | 1940年11月3日 |
廃止理由 |
新設合併 大宮町・大砂土村・日進村・三橋村・宮原村 → 大宮市 |
現在の自治体 | さいたま市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 埼玉県 |
郡 | 北足立郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
7,380人 (国勢調査、1940年) |
隣接自治体 | 北足立郡大宮町、平方町、三橋村、指扇村、宮原村、大谷村 |
日進村役場 | |
所在地 | 埼玉県北足立郡日進村 |
座標 | 北緯35度55分28秒 東経139度36分22秒 / 北緯35.92442度 東経139.606度座標: 北緯35度55分28秒 東経139度36分22秒 / 北緯35.92442度 東経139.606度 |
ウィキプロジェクト |
日進村(にっしんむら)は、かつて埼玉県北足立郡に存在した村。現在のさいたま市西区・北区の各一部にあたる。
地理
[編集]旧村域は、現在のさいたま市北区の南西部(大成・大成町・上加・櫛引町・西谷・日進町・東大成町の各全域)、西区の北東部(上内野・西内野・宮前町の各全域)、および大宮区の北西部(大成町・櫛引町の各全域と、桜木町および三橋の各一部)に相当する。この地域には、現在川越線日進駅やニューシャトル鉄道博物館(大成)駅がある。おおむね大宮台地上に位置する。
日進村を構成していた旧村に由来する大字は、いずれも残存している[1]。1950年代以降に行われた町名地番整理により、大成町・櫛引町・日進町などの町名が成立した。
歴史
[編集]- 1871年(明治4年)11月14日(旧暦) - 浦和県・忍県・岩槻県の3県が合併して埼玉県が誕生。
- 1879年(明治12年)3月17日 - 足立郡の区域をもって行政区画としての北足立郡が発足。郡役所は浦和宿に設置。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行に伴い大成村、上内野村、上加村、櫛引村、西内野村、下加村、西谷村の区域をもって日進村が成立[2]。新村名を決めるにあたって各村が対立し、紆余曲折を経て最終的に村が連合して建てた「日進学校」[3](現・さいたま市立日進小学校)の校名を村名とした。
- 1940年(昭和15年)
脚注
[編集]- ^ さいたま市町字および該当区名一覧 (PDF) - さいたま市
- ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』663頁。
- ^ “さいたま市立日進小学校”. nisshin-e.saitama-city.ed.jp. 2020年7月15日閲覧。
- ^ “東日本旅客鉄道(JR東日本) 日進駅”. 東日本旅客鉄道. 2018年11月25日閲覧。
- ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』1420頁。
参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1980年7月8日。ISBN 4040011104。