日本橋弁松総本店
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種類 | 特例有限会社 |
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本社所在地 |
日本 〒103-0022 東京都中央区日本橋室町一丁目10-7 |
設立 |
1948年10月 創業:1850年 |
業種 | 小売業 |
法人番号 | 6010002026961 |
事業内容 | 仕出し弁当、総菜製造販売 |
代表者 | 代表取締役社長 樋口純一 |
資本金 | 400万円 |
外部リンク | https://www.benmatsu.com/ |
日本橋弁松総本店 Benmatsu Souhonten | |
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日本橋弁松総本店 (2018年2月6日撮影) | |
地図 | |
店舗概要 | |
所在地 |
〒103-0022 東京都中央区日本橋室町一丁目10番7号 |
座標 | 北緯35度41分7.36秒 東経139度46分32.99秒 / 北緯35.6853778度 東経139.7758306度座標: 北緯35度41分7.36秒 東経139度46分32.99秒 / 北緯35.6853778度 東経139.7758306度 |
開業日 | 月曜 - 日曜 |
閉業日 | 無休、但し年始は休み |
正式名称 | 日本橋弁松総本店 |
営業時間 | 月曜 - 金曜日 午前9時30分 - 午後3時、土曜・日曜日・祝日 午前9時30分 - 午後0時30分[1] |
最寄駅 | 三越前駅、日本橋駅 |
最寄IC | 江戸橋出入口 |
外部リンク | https://www.benmatsu.com/ |
日本橋弁松総本店(にほんばしべんまつそうほんてん)は、東京都中央区日本橋室町一丁目にある惣菜と折詰料理の店舗である。
概要
[編集]1810年(文化7年)、越後出身の初代樋口与一が、日本橋の魚河岸商人のための、「樋口屋」という食事処を開いたのが始まり。魚河岸では繁盛したが、忙しい魚河岸の商人ゆえ食事を食べ残すことがあった。そこで、残した料理を経木や竹の皮に包んであげたところ、これが好評となり持ち帰る商人が増えた。これが、弁松の折詰弁当の始まりである。二代目竹次郎は竹皮で包んだ弁当を販売し、三代目松次郎は食事処から折詰料理専門店に変えた。店は弁当販売が主流となり、「弁当屋の松次郎」略して「弁松」と呼ばれた。1850年(嘉永3年)、3代目樋口松次郎は、食事処を店じまいし折詰料理専門店「弁松」を創業。1948年(昭和23年)、「有限会社 日本橋弁松総本店」を設立、折詰弁当製造販売を始めた[2][3]。
「弁松」には、徳川御三家の家令が人力車に乗って来たり、日本橋から埼玉まで大八車で弁当を届けた記録もある。以来、江戸日本橋で弁当を作り続け、老舗が多い日本橋で江戸の味の文化を伝えている[2][3] 。
「弁松の弁当」文化7年(1810)、越後出身の樋口与一が、日本橋の魚河岸商人たちのための、食事処を開いたのが始まりの弁当屋。三代目の樋口松次郎の時、弁当販売が主流となり、「弁当屋の松次郎」略して「弁松」と呼ばれるようになった。嘉永3年(1850)、食事処を閉め、折詰料理専門店「弁松」を創業。魚河岸商人が使う鳶口の絵あり。魚印の商標の一部と、「魚がし安針町御弁當弁松製」と書かれた紙片が書き写されている。
— 清水春風著『東京名物百人一首』明治40年8月「弁松の弁当」より抜粋[2]
営業情報
[編集]- 日本橋弁松総本店
- 東京都中央区日本橋室町一丁目10番7号[2]
- 定休日 - 無休、但し年始は休日
- 営業時間 - 月曜-金曜日 午前9時30分 - 午後3時、土曜・日曜日・祝日 午前9時30分 - 午後0時30分
- 駐車場 - 無し[1]
交通アクセス
[編集]ギャラリー
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外観全景(2018年2月6日撮影)
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清水春風著『東京名物百人一首』「弁松の弁当」(2018年2月6日撮影)[2]
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左から「赤詰」「白詰」の弁当(2018年2月6日撮影)
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 野田安、野田みな編、豊原國周筆『東京自慢名物會』「弁松」福田熊次郎、1896-1897年
- 『東京人』織田桂著「日本橋三越で買える江戸東京の銘品 - 弁松総本店」2004年4月
- 清水晴風著『東京名物百人一首』「弁松の弁当」明治40年8月、2018年2月6日閲覧
- 『人事マネジメント 24(3)』関本しげる「三方よし!老舗DNA 百年超企業は改革を恐れない甘濃ゆい味な心粋 日本橋弁松総本店」2014年3月