新井毫
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新井 毫/新井 豪(あらい ごう、1858年12月14日(安政5年11月10日) - 1902年(明治35年)11月24日?)は、明治時代の政治家、国民協会所属(3期)。
生い立ち
[編集]1858年(安政5年)11月10日、上野国勢多郡黒保根村(現群馬県桐生市)に生まれる。
幼くして横浜で英語を学び、のち慶應義塾で勉学に励む。卒業後、「英学校静知社」を創立し校長となる。新聞『東京政談』を発刊し、「東京政談演説会」を主宰。作州津山六郡共立中学校校長を経て、村会議員、郡連合会議員を経て農業を営む。
その後、板垣退助に共鳴して封建政治を批判、国会開設運動に奔走した。請願書を持ち大書記官山岡鉄舟の私邸まで出向いた話は有名。1890年(明治23年)第1回衆議院議員総選挙で初当選。その後には国家主義思想をかかげ、国民協会に入党し、国会活動を展開した。1902年(明治35年)11月24日、外国旅行の途上に香川県多度津港の船上で行方不明となる。その真相は謎[注 1]。
顕彰
[編集]- 2005年(平成17年)6月、群馬県勢多郡黒保根村(現桐生市黒保根町)より名誉村民の称号を追贈された。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 大植四郎 編『国民過去帳 明治之巻』尚古房、1935年 。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。