徳大寺公親
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時代 | 平安時代後期 |
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生誕 | 天承元年(1131年) |
死没 | 平治元年7月10日(1159年8月24日) |
官位 | 正三位、参議 |
主君 | 鳥羽上皇→崇徳天皇→近衛天皇→後白河天皇→二条天皇 |
氏族 | 徳大寺家 |
父母 | 父:徳大寺実能、母:藤原宗忠の娘 |
兄弟 |
幸子、公能、公保、公親、能慶、公雲、円実、公全、公性、公重、春日局 養兄弟:育子 |
妻 | 藤原家成の娘 |
子 | 猶子:藤原実教 |
徳大寺 公親(とくだいじ きんちか)は、平安時代後期の公卿。左大臣・徳大寺実能の二男。官位は正三位・参議。
経歴
[編集]以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。
- 保延2年(1136年)1月6日、従五位下[1]。
- 保延3年(1137年)2月5日、侍従。
- 康治元年(1142年)12月21日、右近衛権少将。
- 康治2年(1143年)1月6日、従五位上。同月27日、讃岐権介を兼ねる。同年4月18日、禁色。
- 康治3年(1144年)1月7日、正五位下[2]。
- 久安元年(1145年)11月19日、従四位下[3]。
- 久安4年(1148年)1月20日、越前権介を兼ねる。
- 久安5年(1149年)10月11日、従四位上[4]。
- 久安6年(1150年)1月24日、正四位下[5]。
- 仁平元年(1151年)7月24日、左近衛権少将。
- 仁平4年(1154年)8月10日、右近衛権少将。
- 久寿3年(1156年)4月6日、右近衛権中将。同日、蔵人頭。
- 保元元年(1156年)9月13日、参議。同月17日、右中将は元の如し。10月27日、中宮権大夫を兼ねる。
- 保元2年(1157年)1月24日、備前権守を兼ねる。同年10月23日、従三位[6]。
- 保元3年(1158年)11月26日、正三位。
- 平治元年(1159年)2月21日、皇后宮権大夫。同年4月2日、解官される[7]。同年7月10日、薨去。享年29。