御霊神社 (藤沢市宮前)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
御霊神社

御霊神社
社殿

地図
所在地 神奈川県藤沢市宮前 560番地
位置 北緯35度20分14.50秒 東経139度30分30.30秒 / 北緯35.3373611度 東経139.5084167度 / 35.3373611; 139.5084167 (御霊神社 (藤沢市宮前))座標: 北緯35度20分14.50秒 東経139度30分30.30秒 / 北緯35.3373611度 東経139.5084167度 / 35.3373611; 139.5084167 (御霊神社 (藤沢市宮前))
主祭神 早良親王(さわらしんのう)
鎌倉権五郎景政(かまくらごんごろうかげまさ)
葛原親王(くずはらしんのう)
高見王(たかみおう)
高望王(たかもちおう)
創建 天慶3年(940年
例祭 9月の第2日曜日
地図
御霊神社の位置(神奈川県内)
御霊神社
御霊神社
御霊神社の位置(日本内)
御霊神社
御霊神社
テンプレートを表示
御霊神社の社紋。(並び矢)

御霊神社(ごりょうじんじゃ)は神奈川県藤沢市宮前にある神社


祭神[編集]

歴史[編集]

天慶3年(940年)に村岡五郎良文平将門の討伐祈願のために山城国洛中京都府京都市上京区上御霊前通)の御霊神社より勧請した。のちに鎌倉権五郎景政(鎌倉 景正)、葛原親王、高見王、高望王が祭神に加えられた。

境内社[編集]

  • 十二天王
  • 疱瘡神
  • 矢竹稲荷大明神 - 「折笹矢竹稲荷大明神」・「笹折矢竹稲荷大明神」と表記される場合もある。鎌倉権五郎景政(鎌倉 景正)が後三年の役のさいに片目を射られた矢を射返して敵を討った。この矢を地に刺すと矢笹が生えてきたので矢竹稲荷を祀ったという[1]
  • 七面宮

分社[編集]

村岡五郎良文の居城だった村岡城址(藤沢市村岡東三丁目28番2号の村岡城址公園〈北緯35度20分40.4秒 東経139度30分27.8秒 / 北緯35.344556度 東経139.507722度 / 35.344556; 139.507722 (村岡城址)〉)の近くにあることからこの神社から分霊したとされる神社が県内に16社あり(鎌倉市御霊神社葉山町御霊神社、旧・大庭神社ともされる藤沢市大庭熊野神社等)、そのほかにも同系列の神社が存在する。

祭事[編集]

  • 例大祭 9月の第2日曜日
  • 湯花神楽

所在地情報[編集]

所在地
神奈川県藤沢市宮前 560番地
交通

その他[編集]

  • 旗立山 - 御霊神社の東に続く丘は平台とよぶが、源頼義が軍勢を集めるために、ここに白旗を立てたので旗立山ともいう[2]

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

参考文献[編集]

  • 日本地名研究所 編『藤沢の地名』(第3版)藤沢市自治文化部市民活動課、1997年3月31日。 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]