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張万年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
張 万年
ちょう まんねん
生誕 (1928-08-01) 1928年8月1日
山東省 黄県(現:竜口市
死没 (2015-01-14) 2015年1月14日(86歳没)
北京市
所属組織 中国人民解放軍陸軍
軍歴 1944年 - 2003年
最終階級 陸軍上将
指揮 広州軍区司令員
済南軍区司令員
総参謀長
墓所 八宝山革命公墓
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張 万年
職業: 軍人
各種表記
繁体字 張 萬年
簡体字 张 万年
和名表記: ちょう まんねん
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張 万年(ちょう まんねん、1928年8月1日[1] - 2015年1月14日[2])は、中華人民共和国軍人[3]中国人民解放軍上将

総参謀長等の要職を歴任。1992年から2003年3月まで中央軍事委員会委員(1995年9月からは副主席)。妻は鍾佩昭

略歴

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  • 1928年8月1日、山東省黄县(今の龍口市)欧頭孫家村に出生[1]
  • 1944年8月~1945年 - 膠東北海独立第3営(大隊)第7連(中隊)の戦士
  • 1945年8月 - 中国共産党入党
  • 1945年~1947年 - 東北第12旅第35団(連隊)第3営の通信班副班長、班長、東北第4縦隊第12師第36団の警衛員
  • 1947年~1948年 - 東北第4縦隊第12師第36団第5連の副排(小隊)長、排長、連副指導員
  • 1948年~1950年 - 東北第4縦隊第12師第36団の通信股参謀、副股長、股長
  • 1950年~1956年 - 陸軍第41軍第123師第368団司令部作戦股股長、第41軍司令部作戦科参謀
  • 1956年~1958年 - 陸軍第41軍第123師第368団第一副団長兼参謀長
  • 1958年~1961年 - 解放軍南京軍事学院予科系、基本系に入校
  • 1961年~1962年 - 陸軍第41軍第123師第367団副団長
  • 1962年~1966年 - 陸軍第41軍第123師第367団団長
  • 1966年~1968年 - 広州軍区司令部作戦部作戦科科長、副部長
  • 1968年~1978年 - 陸軍第43軍第127師師長
  • 1978年~1981年 - 陸軍第43軍副軍長兼第127師師長(1978年~1979年、解放軍軍事学院に入校)
  • 1981年~1982年 - 陸軍第43軍軍長
  • 1982年~1985年 - 武漢軍区副司令員
  • 1985年~1987年 - 広州軍区副司令員
  • 1987年~1990年 - 広州軍区司令員、軍区党委副書記
  • 1988年9月 - 中将に昇進
  • 1990年~1992年 - 済南軍区司令員、軍区党委副書記
  • 1992年~1995年 - 中国共産党中央軍事委員会委員、総参謀長、総参謀部党委書記
  • 1993年3月 - 全人大第8回一次会議において、中華人民共和国中央軍事委員会委員に任命
  • 1993年6月 - 上将に昇進
  • 1995年9月 - 中共第14回五中全会において、中共中央軍事委員会副主席に補充
  • 1995年12月 - 第8回全人大常委会第17次会議において、中華人民共和国中央軍事委員会副主席に任命
  • 1997年9月 - 中共第15回一中全会において、中央政治局委員、中央書記処書記、中共中央軍事委員会副主席に選出
  • 1997年11月 - 人民解放軍選挙委員会主任
  • 1998年3月~2003年3月 - 中華人民共和国中央軍事委員会副主席

中共九大代表、第12回・第13回中央候補委員、第14回・第15回中央委員、第15回中央政治局委員、中央書記処書記。

逝去

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北京時間2015年1月14日17時逝去、享年87歳。[1]

同22日、遺体は八宝山革命公墓に火葬[4]、墓所は同公墓。[5]

受章歴等

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三級解放勲章を受章。1997年香港返還時、中国政府代表団成員として式典に参加。

脚注

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  1. ^ a b c 张万年同志生平--党史频道”. 人民网. 2022年11月14日閲覧。
  2. ^ 張万年氏死去 大分合同新聞 2015-1-14
  3. ^ 矢吹晋『中国人民解放軍』講談社、1996年7月、P171。
  4. ^ 张万年同志遗体在京火化_图片频道”. 新華通信社. 2022年11月14日閲覧。
  5. ^ 张万年骨灰安放八宝山革命公墓”. 環球網. 2022年11月14日閲覧。

外部リンク

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中国人民解放軍
先代
遅浩田
総参謀長
1992年 - 1995年
次代
傅全有
先代
隗福臨
済南軍区司令員
1990年 - 1992年
次代
張太恒
先代
尤太忠
広州軍区司令員
1987年 - 1990年
次代
朱敦法