廣瀬貞雄
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廣瀬 貞雄(ひろせ さだお、1918年(大正7年) - 2007年(平成19年)[1])は、日本の精神科医、ロボトミスト[2]、日本医科大学教授。同大名誉教授にも[3]。
経歴
[編集]1918年大阪生まれ。
産婦人科医の養子になる。中学時代から歌舞伎を愛し、演劇論をやるために美学者を志したが、父の反対で断念。
その後も歌舞伎を愛好し続け、16代目市村羽左衛門宅を訪ねたりしていた。
1946年に派遣された松沢病院では、市村から教わった「切られ与三郎」の所作を披露したことから、「与三さん」との異名をとった。
1951年に学会に発表され、1971年後に石川清に告発された、いわゆる「臺実験」で実際に執刀したのは、臺弘ではなく、廣瀬であった。
1955年 東京大学医学博士。論文の題は「ロボトミー後の人格像について 」[4]。
1994年秋、勲四等瑞宝章を受章
以上、『精神を切る技術』(橳島次郎)より。
精神外科手術
[編集]松沢病院時代に、拒絶的な患者に全身麻酔をかけて精神外科手術を施したことがある[5]。また1968年の日本犯罪学会の講演において、精神障害犯罪者に外科手術を施した経験があることを認めた[6]。
著書・論文
[編集]著書
[編集]医学書
[編集]- ロボトミー 主としてその適応に就て(医学書院)
歌舞伎論
[編集]- 星霜79年
論文
[編集]- ロボトミー後の人格像について(精神神経学雑誌 56巻)
出典
[編集]- ^ 『精神を切る手術』
- ^ 『精神を切る手術』72ページ、第二章「封印された過去」の副題として太字で「日本のロボトミスト、廣瀬貞雄という人」とある
- ^ 日本医科大学関係者による追悼文
- ^ 博士論文書誌データベース
- ^ 『日本の人体実験』89~90ページ、赤レンガ闘争の最中での、高杉による台弘へのインタビューから
- ^ 『精神を切る手術』96ページ。ちなみに同書97ページによると同学会の同講演において法律家の植松正が犯罪性精神障害者に精神外科手術を行う場合があることを認めつつ、それには患者の合意が必要で、強制的な手術は現行法では許されず、特別の立法を待たねばならないと述べた