広部清兵衛
広部 清兵衛(廣部 淸兵衛[1][2][3][4]、ひろべ せいべい、前名・清太郎[5]、1866年8月6日(慶応2年6月26日)[6] - 1933年〈昭和8年〉10月19日[7])は、日本の商人(質商)[8][9]、実業家[9]、資産家[10]、名望家[11]、東京府多額納税者[12][13]。広部銀行頭取[6][14][15]。広部拓殖代表社員[5]。尾張屋信託、尾張屋銀行、忍商業銀行、東京土地各取締役[6][16][17]。族籍は東京府平民[16][17][18]。
経歴
[編集]江戸日本橋本銀町に先代清兵衛の長男として生まれる[8][9]。生家は質商を営む[2][6][9]。藤樹私塾に入り、読書、算数を学ぶ[6]。15歳の頃、元浜町の質商・尾張屋事峰島家の店員となる[9]。1883年、家督相続と共に前名・清太郎を改める[5][12][16]。18歳に至り主家を辞して帰宅する[9]。
質商を主業とする[9]。1887年、東京市日本橋区本町に広部銀行を創立する[2][6][9][注 1]。銀行業を営む[19]。広部銀行は1927年に休業し[20]、1929年に廃業した。1933年10月19日に病没した[7]。
人物
[編集]1代の成功者で、質屋の丁稚小僧から叩きあげた立志伝の人である[14]。
観世謡曲に堪能である[6]。貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有する[19]。住所は東京市芝区田町[2]、東京市日本橋区本町四丁目[4][10][12](現日本橋本町)、東京府荏原郡目黒村中目黒八幡[6][17]。
栄典
[編集]家族・親族
[編集]- 広部家
家系について『先代顕彰録』によると、「広部家の遠祖は清和源氏の出で、佐々木高綱の後裔と伝えられている。代々清兵衛を襲名し、福井県坂井郡金津町きっての名門として遠近に家名を轟かした」という[7]。
- 父・清左衛門(質商[2]、東京平民[17][18]) - 日本橋本銀町に店舗を構えて油類並に両替業を営む[7]。前名・清兵衛で[9]、1882年、清左衛門と改称して隠居する[8][9]。
- 妻・トク(1869年 - ?、埼玉県の足袋商・橋本喜助の妹)[5]
- 長男・清一郎[3](1890年 - ?、広部鉱業社長、玉川農園経営主)[5]
- 二男・賢二[18](1897年 - 1985年、千代田火災海上専務)
- 三男・三郎[18][22](1901年 - ?) - 1929年に慶應義塾大学経済学部卒業、浅野物産勤務[22]。
- 長女・清子[18](1894年 - ?、広部達三の妻)[23]
- 三女[18]
- 四女[18]
- 親戚
- 長男の妻の兄・千葉直五郎(煙草商、池貝鉄工所監査役)
- 妻の甥・橋本喜助(足袋商、埼玉県多額納税者、行田電灯社長)
- 長女の夫・広部達三(農事試験場技師[23]、東京帝国大学農学部教授)
- 広部和三郎(木綿染糸商、広部拓殖代表社員)
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 『大日本紳士鑑』東京府日本橋区43頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年7月12日閲覧。
- ^ a b c d e 『京浜実業家名鑑』713頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年2月13日閲覧。
- ^ a b 『日本紳士録 第16版』東京ひ738頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年2月12日閲覧。
- ^ a b 『東京商工博覧絵 上』(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年2月12日閲覧。
- ^ a b c d e f 『人事興信録 第10版 下』ヒ70頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年2月12日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 『大正名家録』ヒの部10頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年2月12日閲覧。
- ^ a b c d e 『先代顕彰録』552頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年2月15日閲覧。
- ^ a b c 『大日本人物誌 一名・現代人名辞書』ひ32頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年4月7日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j 『大正人名辞典』1151頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年2月12日閲覧。
- ^ a b 『全国五十万円以上資産家表 時事新報社第三回調査』2頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年2月12日閲覧。
- ^ 『帝国名望家大全』東京府21頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年2月5日閲覧。
- ^ a b c 『人事興信録 第9版』ヒ65頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年2月12日閲覧。
- ^ 『日本紳士録 第35版附録』附録 全国多額納税者 東京府4頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年2月12日閲覧。
- ^ a b 『郷土渋谷の百年百話』452頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年2月21日閲覧。
- ^ 『新編東京独案内 明細図入』65頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年2月21日閲覧。
- ^ a b c 『人事興信録 第7版』ひ15頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年2月12日閲覧。
- ^ a b c d 『人事興信録 第6版』ひ12 - 13頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年2月15日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『人事興信録 第3版』ひ18頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年2月12日閲覧。
- ^ a b 『貴族院多額納税者名鑑』貴族院多額納税議員互選者住所氏名 東京府11頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年2月24日閲覧。
- ^ 『朝日年鑑 昭和3年』551頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年2月20日閲覧。
- ^ a b 『紺綬褒章名鑑 賞勲局百年資料集 大正8年〜昭和16年』97頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年2月15日閲覧。
- ^ a b 『慶応義塾塾員名簿 昭和17年版』慶應義塾塾員名簿554頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年2月13日閲覧。
- ^ a b 『帝国大学出身名鑑』ヒ41頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年2月12日閲覧。
参考文献
[編集]- 深満池源次郎編『東京商工博覧絵 上』深満池源次郎、1885年。
- 伊藤栄次郎編『新編東京独案内 明細図入』金麟堂、1890年。
- 妹尾久造編『大日本紳士鑑』経済会、1895年。
- 吉野民司編『帝国名望家大全』吉野民司、1895年。
- 遠山景澄編『京浜実業家名鑑』京浜実業新報社、1907年。
- 人事興信所編『人事興信録 第3版』人事興信所、1903 - 1911年。
- 成瀬麟、土屋周太郎編『大日本人物誌 : 一名・現代人名辞書』八紘社、1913年。
- 原田道寛編『大正名家録』二六社編纂局、1915年。
- 『全国五十万円以上資産家表 時事新報社第三回調査』時事新報社、1916年。
- 東洋新報社編『大正人名辞典』東洋新報社、1917年。
- 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
- 慶応義塾編『慶応義塾塾員名簿 昭和17年版』慶応義塾、1924 - 1942年。
- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
- 織田正誠編『貴族院多額納税者名鑑』太洋堂出版部、1926年。
- 『朝日年鑑 昭和3年』朝日新聞社、1927 - 1933年。
- 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
- 交詢社編『日本紳士録 第35版附録』交詢社、1931年。
- 校外調査会編『帝国大学出身名鑑』校外調査会、1932年。
- 人事興信所編『人事興信録 第10版 下』人事興信所、1934年。
- 人事通信社編『先代顕彰録』人事通信社、1952年。
- 加藤一郎編著『郷土渋谷の百年百話』渋谷郷土研究会、1967年。
- 総理府賞勲局編『紺綬褒章名鑑 賞勲局百年資料集 大正8年〜昭和16年』大蔵省印刷局、1986年。