川崎巳之太郎

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川崎巳之太郎

川崎 巳之太郎(かわさき みのたろう、1873年明治6年)11月1日[1] - 1951年昭和26年)7月10日[2])は、日本の衆議院議員ジャーナリスト

経歴[編集]

茨城県久慈郡坂本村(現在の日立市)出身[3]1893年(明治26年)、明治学院(現在の明治学院大学)を卒業[3]。日刊新聞『世界之日本』の編集長となり、月刊雑誌『天地人』を発行した[3]1898年(明治31年)、アメリカ合衆国に渡り、カリフォルニア大学の聴講生となるかたわら、日米新聞を刊行した[4]1901年(明治34年)に日本に戻り、翌年に日本植民会社を設立した[4]1903年(明治36年)、日本植民会社の事業開始のためペルーに渡るが、日露戦争勃発により中止となった[4]。日露戦争中は、アメリカ合衆国で『大阪毎日新聞』『報知新聞』『時事新報』の特派員を務めた[4]1909年(明治42年)、帰国して内務省警保局社会局嘱託となり、17年間勤務した[3][4]1919年大正8年)には第1回国際労働会議に政府随員として派遣された[4]

1927年(昭和2年)、衆議院補欠選挙で当選。その後第20回衆議院議員総選挙第21回衆議院議員総選挙で再選を果たした。

編著[編集]

  • 『実験上の宗教』(1897年、警醒社)
  • 『水戸光圀卿生誕三百年記念講演』(1928年、楽天社)

脚注[編集]

  1. ^ 衆議院『第五十四回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1927年、12頁。
  2. ^ 『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』
  3. ^ a b c d 『衆議院要覧』
  4. ^ a b c d e f 『時の人』

参考文献[編集]

  • イハラキ時事社編輯局編『時の人』イハラキ時事社、1939年。 
  • 『衆議院要覧(乙) 昭和十七年十一月』衆議院事務局、1942年。 
  • 衆議院・参議院編『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1962年。