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川勝広達

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
川勝広達
時代 江戸時代前期 - 江戸時代中期
生誕 貞享元年(1684年
死没 宝暦5年8月6日1755年9月11日
別名 彦四郎、勘助(通称)
戒名 廣達(法名)
墓所 東京都港区赤坂の法安寺
幕府 江戸幕府 旗本
主君 徳川家宣家継吉宗家重
氏族 川勝氏
父母 父:野村為政、母:朝比奈眞辰の娘
養父:広英
兄弟 広達
正室:川勝広英の娘
継室:川勝隆成の娘
広典、女子(広典の養女)、
女子、女子
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川勝 広達(かわかつ ひろたけ)は、江戸時代前期から中期の旗本。知氏系重氏流川勝家の5代当主。

生涯

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貞享元年(1684年)、野村為政の三男として江戸に生まれ、後に川勝広英の婿養子となった。宝永6年(1709年)4月6日、小姓組となり、享保8年(1723年)3月12日に勤務の褒賞として黄金一枚を給わった。享保18年(1733年)10月26日、義父広英の死去により、その家督(下野常陸内700石)を継いだ。

宝暦4年(1754年)閏2月21日、老いを理由に職を辞した。この時、黄金二枚を給わった。

宝暦5年(1755年)8月6日、72歳で没した。家督は嫡男の広典が継いだ。


参考文献

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  • 『寛政重修諸家譜(第18)新訂』続群書類従完成会、1981年


先代
広英
川勝知氏系重氏流
5代:1733年 - 1755年
次代
広典