小野田家住宅
小野田家住宅 主屋 | |
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情報 | |
構造形式 | 木造、瓦葺[1] |
建築面積 | 292 m² [1] |
階数 | 2階建[1] |
竣工 | 1886年 |
所在地 |
〒441-3203 愛知県豊橋市高塚町字郷中65 |
座標 | 北緯34度39分46.9秒 東経137度24分0.3秒 / 北緯34.663028度 東経137.400083度座標: 北緯34度39分46.9秒 東経137度24分0.3秒 / 北緯34.663028度 東経137.400083度 |
文化財 | 登録有形文化財 |
指定・登録等日 | 2013年6月21日[1] |
小野田家住宅 長屋門 | |
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情報 | |
構造形式 | 木造、瓦葺[2] |
建築面積 | 78 m² [2] |
階数 | 平屋建[2] |
竣工 | 1849年頃 |
所在地 |
〒441-3203 愛知県豊橋市高塚町字郷中65 |
文化財 | 登録有形文化財 |
指定・登録等日 | 2013年6月21日[2] |
小野田家住宅(おのだけじゅうたく)は、愛知県豊橋市高塚町字郷中65にある邸宅。主屋と長屋門が登録有形文化財。
歴史
[編集]12代 小野田吉次郎
[編集]江戸時代の小野田家は三河国渥美郡高塚村の[3]庄屋を務めていた[4]。
文政5年(1822年)に西七根村に生まれた高橋吉次郎(小野田吉次郎)は、小野田家の養子となって12代当主を襲名した。26歳の時に国学者の羽田野敬雄に師事すると、高塚村において殖産興業や自力更生を説いた[3]。平民ながら寺子屋を開くなどし、後に代議士となる高橋小十郎などが小野田吉次郎に学んだ[5][6]。
小野田吉次郎は酒造業や薬品販売なども営んでおり、仕事で江戸に向かうこともあった[4]。嘉永2年(1849年)には長屋門が建てられたが、江戸の武家屋敷の門構えを気に入ったためだとされる[4]。明治維新後の1876年(明治9年)には長屋門で郵便取扱所を始めた[4]。小野田吉次郎は1879年(明治12年)に死去した。
13代 小野田澄吉郎
[編集]弘化2年(1845年)、小野田吉次郎は額田郡深溝村の岩瀬澄吉郎(小野田澄吉郎)を養子に迎えた[3]。1886年(明治19年)、13代当主の小野田澄吉郎によって小野田家の主屋が建てられた[1]。1892年(明治25年)、小野田澄吉郎は新たに設立された豊橋銀行の株主となり、1898年(明治31年)には新たに設立された三遠銀行(→尾三貯蓄銀行→尾三銀行)の株主となった[7]。1920年(大正9年)には主屋が増築された[1]。
近年の動向
[編集]2013年(平成25年)6月21日、主屋と長屋門が登録有形文化財に登録された[1]。
建築
[編集]渥美半島の付け根と言える豊橋市南部、遠州灘に面する段丘の上にある[4]。
主屋
[編集]敷地中央には主屋が南面する[1]。主屋の主体部は2階建であり、西側に増築した座敷棟を接続する[2]。1階の東側は土間、西側は2列6室の居室であり、2階には納戸と中廊下型の4室がある[1]。木造2階建、瓦葺[1]。1886年(明治19年)竣工[1]。
長屋門
[編集]主屋の南方には長屋門が南面する[2]。木造平屋建、瓦葺[2]。嘉永2年(1849年)竣工[4]。桁行17m、梁間4.6m[2]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『保存情報3』日本建築家協会東海支部愛知地域会保存研究会、2015年。
- 『渥美郡史』渥美郡、1923年。
- 『高豊史』高豊史編纂委員会、1982年。