富山師範学校
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富山師範学校(とやましはんがっこう)は、現在の富山大学教育学部の前身の一つとなった師範学校である。所在は現在の富山県富山市西田地方(にしでんじがた)付近であったが、1949年時点では現在の富山大学の敷地に所在していた[1]。
沿革
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新川県立期
[編集]新川県講習所、新川県師範学校
[編集]石川県立期
[編集]石川県富山師範学校、石川県第二師範学校、石川県富山小学師範学校
[編集]- 1876年(明治9年)
- 1877年(明治10年)11月7日 致遠中学校が師範学校内に設置(1880年(明治13年)11月に廃止)[3]。
- 1878年(明治11年)12月 石川県第二師範学校と改称する。旧藩校・広徳館跡地(富山税務署付近)に移転し、元の校舎は石川県第二女子師範学校に充てられた[2][3]。
- 1880年(明治13年)12月 石川県第二師範学校を石川県富山師範学校、石川県富山女子師範学校と改称[3]。
- 1881年(明治14年) 石川県富山小学師範学校と改称する。
富山県立期
[編集]富山県富山師範学校、旧・富山県師範学校
[編集]富山県尋常師範学校
[編集]- 1886年(明治19年) 富山県尋常師範学校と改称する。
富山県師範学校
[編集]- 1898年(明治31年) 文部省令により富山県師範学校となる。
- 1905年(明治38年)7月7日 師範学校男子部、西田地方に移転(本館と雨天体操場を県立高等女学校が引き継ぐ)[3][4]。
- 1913年(大正2年) 女子師範学校を一府八県連合共進会会場跡(堀川村)に移転。これにより旧師範学校の校地が全部、高等女学校が受け継ぐ[3]。
- 1917年(大正6年)3月29日 県立高等女学校、女子師範学校のある堀川の校舎へ移転[3]。
富山県女子師範学校
[編集]- 1917年(大正6年) 富山県女子師範学校発足。
官立期
[編集]富山師範学校
[編集]歴代校長
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- 富山県師範学校(前身諸校を含む)
- 三宅五郎三郎:1886年8月18日 - (師範学校長)
- 三宅五郎三郎:1887年8月16日 - (尋常師範学校長)[5]
- 小野恒剛:1892年4月1日 - 1894年8月20日
- 桑原護一:1894年8月24日 - 1897年10月23日
- 内山行貫:1897年10月23日 - 1899年10月26日
- 赤木万二郎:1899年10月26日 - 1902年7月2日
- 安藤季雄:1902年7月28日 - 1912年2月22日
- 秋鹿見橘:1912年2月22日 - 1916年4月14日
- 古川正澄:1916年4月14日 -
- 富山県女子師範学校
- 佐々木松蔵:1917年3月14日 -
- 楠品次:1923年3月31日[6] -
- 富山師範学校
著名な出身者
[編集]脚注
[編集]- ^ 『昭和二十四年度版 富山市街圖』(郷土文化研究会編)
- ^ a b c d 富山県教育発祥の地は、いたち川沿い(月刊グッドラックとやま、2019年10月30日)
- ^ a b c d e f g h i 『特別展 富山城の歴史展』(1994年7月16日、富山市教育委員会発行)42頁。
- ^ 『富山市史 第二巻』(1960年4月15日、富山市役所発行)133頁。
- ^ 国立公文書館「富山県属三宅五郎三郎外一名尋常師範学校長ニ被任ノ件」履歴書付、明治20年8月16日。三宅五郎三郎の出自は「京都府士族/嘉永四年五月二十二日生」。
- ^ 『官報』第3199号、大正12年4月2日。
- ^ 『官報』第4865号、昭和18年4月2日。
- ^ a b 『官報』第5407号、昭和20年1月26日。
参考文献
[編集]- 『官報』