富士井末吉
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富士井 末吉 | |
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生誕 |
1886年2月6日 日本 広島県 |
死没 | 1968年1月28日(81歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 |
1907年 - 1938年 1939年 - 1940年 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
富士井 末吉(ふじい すえきち、1886年(明治19年)2月6日[1] - 1968年(昭和43年)1月28日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功三級[2]。
経歴
[編集]1886年(明治19年)に広島県で生まれた[1]。陸軍士官学校第19期卒業[3]。1934年(昭和9年)8月1日に陸軍歩兵大佐進級と同時に父島要塞司令官に着任し[2]、1935年(昭和10年)8月に松山連隊区司令官に転じた[2]。1937年(昭和12年)3月に歩兵第35連隊長(上海派遣軍・第9師団・歩兵第6旅団)に就任して日中戦争に出動[1][2]。大場鎮、蘇州河を突破する戦果を収め[3]、南京攻略戦にも出動した[3]。1938年(昭和13年)3月1日に陸軍少将進級と同時に留守第9師団司令部附となり[1][2]、7月15日に待命[2]、7月27日に予備役に編入された[1]。
1939年(昭和14年)1月4日に召集され中支那派遣軍司令部附となり[1]、1月14日に浙江省嘉興で新規編制された独立混成第11旅団[4](第13軍)の旅団長に就任し[1][3]、揚子江下流右岸の守備に任じた[3]。1940年(昭和15年)3月9日に留守第5師団司令部附となり[1]、8月1日に召集解除となった[2]。1945年(昭和20年)3月9日に召集され留守第5師団兵務部長に就任[5]。3月31日に広島連隊区司令官兼広島地区司令官に就任して終戦となった[6]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[7]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。
- 藤井非三四 著『知られざる兵団 帝国陸軍独立混成旅団史』国書刊行会、2020年。ISBN 4336065977。