天野政立

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天野 政立(あまの まさたつ、1854年安政元年〉- 1917年大正6年〉1月3日)は、江戸時代武士明治時代自由民権運動家、政治家

経歴[編集]

相模国愛甲郡下荻野(現在の神奈川県厚木市荻野)にあった荻野山中藩藩医天野俊長の二男として生まれる。兄は俊策。1867年には薩摩藩士による荻野山中陣屋焼き討ちに遭遇している。

維新後は愛甲郡の書記となり、国会開設運動に取り組み、1882年明治15年)相愛社を創立し、地租軽減運動を指導した。1885年大井憲太郎新井章吾などと共に大阪事件連座し入獄したが、のち大磯町助役平塚町町長などを務めた。大正6年1月3日死去。享年64歳。墓所は藤沢市龍口寺

脚注[編集]

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