大内覚之助
表示
大内 覚之助(おおうち かくのすけ、(1898年1月[1] - 1965年3月16日[2])は、日本の教育者、英語学者。
経歴
[編集]大内義生の長男として[1]、福岡県朝倉郡朝倉町大字古毛(現・朝倉市古毛)に生まれる。福岡県立朝倉中学校(現・福岡県立朝倉高等学校)、1920年広島高等師範学校(広島大学教育学部の前身)文科第二部英語科を経て[2]、1924年京都帝国大学文学部文学科英文学専攻を卒業[3][1]。
旧制福岡高等学校教授を経て[2]、1941年福岡県女子専門学校(現・福岡女子大学)教授兼福岡県中学修猷館(現・福岡県立修猷館高等学校)校長に就任[4]。
戦後、福岡商科大学(現・福岡大学)教授、熊本女子大学(現・熊本県立大学)教授を歴任した後、1961年久留米大学附設高等学校校長に就任[2]。
1965年心臓病のため死去。葬儀は久留米大学附設高等学校葬をもって行われた[2]。