古瀬大六
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古瀬 大六 | |
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生誕 |
1917年6月26日 日本 石川県 金沢市 |
死没 | 2007年4月11日 |
出身校 | 東京商科大学(現一橋大学:昭和15年卒) |
職業 | 経済学者 |
子供 | 長女、次女、三女、四女(山下和美) |
古瀬 大六(こせ たいろく、1917年(大正6年)6月26日 - 2007年(平成19年)4月11日)は、日本の経済学者。元東北大学経済学部教授、一橋大学商学博士。四女の漫画家、山下和美の作品『天才柳沢教授の生活』の主人公・柳沢良則のモデル。なお、良則は大六の父、つまり山下の祖父の名である。
生涯
[編集]1917年(大正6年)6月26日、父・古瀬良則(英語学者・一橋大学名誉教授)、母・要(旧姓、鷲田)の長男として、石川県金沢市に生まれる[1][注 1]。
1940年(昭和15年)、東京商科大学(現在の一橋大学)を卒業後、東京芝浦電気に入社。短期現役海軍主計科士官(4期)を志願し、同年5月、海軍経理学校に入学して海軍主計中尉に任官。同年9月に卒業。1945年(昭和20年)5月、海軍主計少佐に昇進して終戦を迎えた[2]。
1946年(昭和21年)、東芝本社経理部を退職、小樽高等商業学校(後、小樽商科大学に改組)講師となる[3]。1961年(昭和36年)に、「分権的管理の数学的理論」により一橋大学より商学博士を授与される。1963年(昭和38年)、小樽商科大学附属図書館長。1973年(昭和48年)、横浜国立大学経営学部教授、後、東北大学経済学部教授にて停年、1988年(昭和63年)に南山大学経営学部を定年退職。1996年(平成8年)、勲三等瑞宝章を叙勲される[1]。
2007年(平成19年)4月11日、前立腺癌のため死去[4]。その蔵書は小樽商科大学附属図書館に寄贈され、「古瀬大六文庫」となった[5]。名称が珍しく「古瀬大六文庫」とフルネームになっているのは、同図書館には、大六の父・良則の蔵書が「古瀬文庫」として既に所蔵されていたためである[6][7]。
脚注
[編集]- ^ 「古瀬良則名誉教授年譜」(PDF)『一橋論叢』第38巻第6号、1957年12月1日、650-654頁。によれば、古瀬大六の父である英文学者古瀬良則は、1893年(明治26年)8月28日、長崎県高来郡安中村安徳556番(現在の島原市)に父・重治の五男として生まれている。また、同年譜によると父・良則は、1915年(大正4年)4月、石川県立金沢第一中学校(現在の石川県立金沢泉丘高等学校の前身)教諭、次いで1917年(大正6年)4月、福岡県立豊津中学校(現在の福岡県立育徳館中学校・高等学校の前身)の教諭となっている。
出典
[編集]- ^ a b 若林信夫「日本OR学会北海道支部の歴史」『日本オペレーションズ・リサーチ学会50年の歩み』
- ^ 『海軍主計科士官物語〈短現総覧〉』48、378頁。
- ^ 「天才古瀬教授の商大生活」(小樽商科大学附属図書館「ヘルメス・クーリエ」第3号)
- ^ “山下プロ日記”. 山下和美 (2007年4月17日). 2011年12月23日閲覧。
- ^ “古瀬大六文庫の形成について”. 小樽商科大学. 2011年12月23日閲覧。
- ^ “小樽商科大学附属図書館特殊文庫”. 小樽商科大学. 2011年12月23日閲覧。
- ^ 東博通「浜林生之助のこと—ある英文学者の小伝(3)〔含 附録 英国まで—鹿島丸船中にて〕」『名城論叢』第4巻第3号、2004年、63-115頁、2011年12月23日閲覧。
参考文献
[編集]- 『海軍主計科士官物語〈短現総覧〉』浴恩出版会、1968年。
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