コンテンツにスキップ

佐々木貞氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
佐々木貞氏
時代 鎌倉時代末期 - 南北朝時代
生誕 不明
死没 正平10年/文和4年11月19日1355年12月23日[1]
改名 貞氏→善観(号)[2][3]
別名 鏡貞氏、京極貞氏、近江入道、通称:三郎左衛門尉[4]
官位 左衛門尉[5][6]従五位下近江守[5][4][6]
氏族 近江源氏佐々木氏京極氏
父母 父:佐々木宗氏、母:佐々木宗綱[6]
兄弟 池田定信[5][6]貞氏[5][4]
高氏(道誉)[5][4]高屋貞満[6]
岩山秀信[6]鞍智時満[6]経氏[6]
鏡高治[3]鏡貞佑[3]伊吹秀氏
長岡貞高[3]松下秀頓[3]
テンプレートを表示

佐々木 貞氏(ささき さだうじ)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将鏡貞氏とも。

略歴

[編集]

京極氏4代当主・佐々木宗氏の子として誕生。鏡氏を名乗る。建武2年(1335年)、出家した[3]

興国2年/暦応4年(1341年)1月20日、足利直義の命を受け大和国の神官・西阿[7]を攻撃している[8]正平2年/貞和3年(1347年)、足利尊氏から近江国多賀社の地頭職を賜った[9]

正平10年/文和4年(1355年)、死去。子の高治貞佑が鏡氏、秀氏伊吹氏貞高長岡氏一圓氏を名乗った。

脚注

[編集]
  1. ^ 大日本史料』第6編之20 70頁。
  2. ^ 尊卑分脈』。
  3. ^ a b c d e f 『諸家系図纂』。
  4. ^ a b c d 田村哲夫編修 1980, p. 230.
  5. ^ a b c d e 今井尭ほか編 1984, p. 301.
  6. ^ a b c d e f g h 寛政重修諸家譜
  7. ^ 三輪西阿、玉井西阿、開住西阿とも。俗名は大神勝房
  8. ^ 『大日本史料』第6編之6 627頁。
  9. ^ 『大日本史料』第6編之10 965頁。

出典

[編集]
  • 今井尭ほか編『日本史総覧』 3(中世 2)、児玉幸多小西四郎竹内理三監修、新人物往来社、1984年3月。ASIN B000J78OVQISBN 4404012403NCID BN00172373OCLC 11260668全国書誌番号:84023599 
  • 防長新聞社山口支社編 編『近世防長諸家系図綜覧』三坂圭治監修、防長新聞社、1966年3月。 NCID BN07835639OCLC 703821998全国書誌番号:73004060 国立国会図書館デジタルコレクション
  • 『朽木文書』(10 楓軒文書纂十三 所収)
  • 『正閏史料』(二之二)
  • 寛政重修諸家譜』(四百十九)
  • 『賢俊僧正日記』