伊勢市立港中学校
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伊勢市立港中学校 | |
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2009年2月28日撮影 | |
北緯34度30分38秒 東経136度43分59秒 / 北緯34.51043度 東経136.73299度座標: 北緯34度30分38秒 東経136度43分59秒 / 北緯34.51043度 東経136.73299度 | |
過去の名称 |
宇治山田市立第五中学校 宇治山田市立港中学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 伊勢市 |
設立年月日 | 1947年4月15日 |
創立記念日 | 5月12日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 2学期制 |
学校コード | C124220330037 |
所在地 | 〒516-0005 |
三重県伊勢市竹ヶ鼻町100番地 北緯34度30分39秒 東経136度43分58秒 / 北緯34.51083度 東経136.73278度 | |
外部リンク | 港中学校ホームページ |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
伊勢市立港中学校(いせしりつみなとちゅうがっこう)は、三重県伊勢市竹ヶ鼻町にある公立中学校。
概要
[編集]- 校地面積 21,834m2
- 構成
- 校舎 3階建て
- 運動場 12,700m2
- 体育館 延べ床面積:1,013m2
沿革
[編集]- 1947年(昭和22年)4月15日 - 宇治山田市立第五中学校が創立する。宇治山田市立大湊小学校、同神社小学校、同浜郷小学校の一部を借り受け分教場とする。
- 1948年(昭和23年)5月12日 - 元神戸製鋼株式会社青年学校跡敷地に移転、同会社講堂と、寮1棟を借り受け1ヶ所で授業を行う。独立校として発足、当日を創立記念日とする。
- 1948年(昭和23年)9月1日 - 宇治山田市立港中学校と改称する。
- 1950年(昭和25年)3月4日 - 現在地(青年学校跡)に校舎が落成する。
- 1955年(昭和30年)1月1日 - 市名改称に伴い、伊勢市立港中学校に改称する。
- 1959年(昭和34年)9月26日 - 伊勢湾台風(台風15号)により、校舎に大被害を受ける。
- 1961年(昭和36年)6月12日 - 体育館を新築、落成する。(災害復旧)
- 1969年(昭和44年)4月10日 - プール建設の起工式を挙行する。
- 1969年(昭和44年)7月14日 - プールの完工式を挙行する。
- 1975年(昭和50年)10月3日 - 新校舎建設の起工式を挙行する。
- 1977年(昭和52年)3月30日 - 新校舎の完工式を挙行する。
- 1985年(昭和60年)8月12日 - 体育館建設の起工式を挙行する。
- 1985年(昭和60年)12月26日 - 2教室(3階)の増築工事が完了する。
- 1986年(昭和61年)3月28日 - 体育館の完工式を挙行する。
- 1991年(平成3年)4月1日 - 障害児学級(精薄)を設置する。
- 1993年(平成5年)4月1日 - 障害児学級(情緒)を設置する。
- 2005年(平成17年)4月1日 - 3学期制から2学期制に移行する。
学校区
[編集]- 大湊町
- 神社港(かみやしろこう)
- 下野町
- 馬瀬町
- 小木町(こうぎちょう)
- 竹ヶ鼻町
浜郷小学校区の一部
- 田尻町
- 通町
- 黒瀬町
- 一色町
周辺
[編集]- 伊勢市立神社小学校
- シンフォニア テクノロジー伊勢製作所(旧神鋼電機)
交通アクセス
[編集]著名な卒業生
[編集]- 八田直樹 - Jリーグ選手[1]、在学中(2001年、3年生時)にU-15日本代表フランス遠征メンバーに選出される[2]。
- 大畑拓也 - Jリーグ選手、在学中(2005年、3年生時)にU-15日本代表メンバーに選出される。
参考文献
[編集]- 平成13年度 学校要覧 伊勢市立港中学校
脚注
[編集]- ^ 2005年6月3日付け 読売新聞 中部朝刊 24頁 記事「Jリーグ・ジュビロの八田、森下選手 加藤・伊勢市長に活躍を誓う=三重」、同日付け 毎日新聞 地方版/三重 21頁 記事「表敬訪問:八田直樹・森下俊の両選手、市長を表敬--伊勢出身のJリーガー /三重」より
- ^ 2001年4月7日付け 朝日新聞 名古屋地方版/三重 28頁 記事「サッカー代表、欧州に遠征へ 中3八田君・森下君選ばれる /三重」、同日付け 毎日新聞 地方版/三重 21頁 記事「U15サッカー国際トーナメント 伊勢の中学生2人を激励--市役所 /三重」、同日付け 中日新聞 朝刊 21頁 三重総合版 記事「伊勢の2中学生 U15サッカー日本代表 フランスでの健闘誓う」より