仁井谷

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仁井谷(にいたに、にいや)

  • 日本人における姓のひとつ。仁井谷正充コンパイル社長)や、仁井谷俊也作詞家)が有名。
  • 希少な姓で、14,971位(約370人)である[1]広島県に多く、約70%が広島県内に住み、特に三原市尾道市などに多い。
  • 似た姓に二井谷があり、二井谷教治(博士(環境学)、オリエンタル白石技術研究所)などが有名。こちらはさらに希少な姓で、17,476位(約280人)である。やはり広島県に約70%が住み、特に呉市に多い。
  • 出自は不詳だが、一説によると古くは水銀の産地を「ニホ」「ニオ」「ニイ」といい、この中の「ニイ」に「仁井」の字を当てたとも言われるため、水銀の産出する谷間につけられた地名に由来するとも考えられる。
  • 上述のとおり仁井谷二井谷ともに広島県に多いが、対岸の愛媛県には伊予橘氏である仁井氏がいた。瀬戸内海沿岸に仁井○という姓が多い(仁井見仁井元仁井原仁井山仁井内仁井本…広島県、仁井名…岡山県、仁井戸仁井村…大阪府)こと、仁井姓が発祥地である愛媛県だけではなく広島県にも集中している(約50%)ことを考えると、仁井氏の分家が各地に散らばったのが仁井○姓の由来とも考えられる。
  • 広島県江田島市大柿町柿浦中郷には、以下の言い伝えが伝承されている[2]
    • 同郷に住み着いた平家の落人が二位尼の一行を名乗ったため、それに因んで同郷が「二位の谷」と呼ばれるようになった。
    • 同郷の開祖が、地名を元に「二位谷」を家名として名乗った。
    • 二位谷の本家は明暦元年(1655年)頃、流行病によって一家断絶した。
    • 寛文2年(1663年)倉橋島浦役家の資料には、同郷の本家筋のひとつとして仁井谷が挙げられている。

地名[編集]

史跡

脚注[編集]

  1. ^ 「日本の苗字7000傑」による
  2. ^ 江田島って・・・どんなとこ? 柿浦 荒神社 2/2”. wakiwakidonn.blog97.fc2.com. 2019年2月28日閲覧。

関連項目[編集]