京都高等蚕業学校
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京都高等蚕業学校 | |
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創立 | 1914年 |
所在地 | 京都府葛野郡花園村 (現・京都市右京区) |
初代校長 | 川島勝次郎 |
廃止 | 1951年 |
後身校 | 京都工芸繊維大学 |
同窓会 | 京都工芸繊維大学同窓会 |
京都高等蚕業学校 (きょうとこうとうさんぎょうがっこう) は、1914年 に設立された旧制専門学校。1931年 に京都高等蚕糸学校、1944年に京都繊維専門学校と改称された。
本項は、改称後の 2校および前身の京都蚕業講習所を含めて記述する。
概要
[編集]- 1899年設立の農商務省京都蚕業講習所を前身とする。
- 大正時代初期に農商務省から文部省に移管され、京都高等蚕業学校となった (広義の高等農林学校)。
- 1931年、製糸科増設により京都高等蚕糸学校と改称された。
- 第二次世界大戦中に京都繊維専門学校 (京都繊専) と改称された。
- 学制改革で新制京都工芸繊維大学繊維学部 (現・工芸科学部) の母体となった。
- 同窓会は 「衣笠同窓会」 (きぬがさどうそうかい) と称し、旧制・新制 (旧繊維学部) 合同の会となっていたが、2006年の工芸学部・繊維学部統合(工芸科学部発足)に合わせて、京都工芸繊維大学同窓会に統合された[1]。
沿革
[編集]京都蚕業講習所時代
[編集]- 1899年3月30日: 官立蚕業講習所官制改正により蚕業講習所増設 (勅令第89号)。
- 1899年6月: 京都蚕業講習所設置公示 (農商務省告示第61号)。
- 本科 (修業年限2年)・別科 (同5ヶ月)。
- 1901年: 技師 石渡繁胤 (のち所長)、カイコ卒倒病菌発見。
- 1915年、エルンスト・ベルリナー (Ernst Berliner) によってバチルス・チューリンゲンシスと正式命名。
- 1902年: 養蚕講習科設置 (本科2年・別科6ヶ月に変更)。
- 製糸講習科も設置されたが、実際には開講されず。
- 1905年: 本科3年制に変更。
- 1906年: 校友会誌 『衣笠蚕友会報』 創刊。
- 1908年: 女子部を設置 (2年制)。
- 1913年6月13日: 農商務省から文部省に移管。
京都高等蚕業学校時代
[編集]- 1914年4月1日: 京都高等蚕業学校と改称 (3月31日勅令第44号で文部省直轄諸学校官制改正)。
- 本科 (修業年限3年)・別科 (同6ヶ月)。
- 1914年7月: 第1回卒業。
- 京都蚕業講習所時代の入学者。
- 1915年4月: 女子部廃止。
- 1920年: 本科に蚕種科を増設。従来の本科を養蚕科と改称。
- 別科1年制に延長。
- この年の春から、BM祭 (家蚕 [学名 Bombyx mori] の慰霊祭) を挙行。
- 1921年3月: 校歌制定。『黄塵跡をとどめざる』 (作詞者不詳、弘田龍太郎 作曲)
- 作詞者は櫛淵真澄説も。
- 1923年4月: 嵯峨桑園を設置 (葛野郡嵯峨村、現・右京区嵯峨一本木町)。
- 1924年: 別科を養蚕実科と改称。
- 1931年2月: 本科に製糸科を増設。
京都高等蚕糸学校時代
[編集]- 1931年3月: 京都高等蚕糸学校と改称。
- 本科学科: 養蚕科・蚕種科・製糸科。
- 1934年9月: 室戸台風で生物実験室半壊。
- 1937年6月: 製糸教婦科を設置 (修業年限2年)。
- 1942年4月: 本科に繊維化学科を増設。
京都繊維専門学校時代
[編集]- 1944年4月1日: 京都繊維専門学校と改称。
- 本科学科: 蚕糸科 (養蚕専攻・製糸専攻)・繊維化学科・繊維農業科 (新設)・紡織科 (福井高工から移管)。
- 嵯峨桑園を嵯峨農場と改称。
- 1945年: 製糸教婦科、1年制に短縮。
- 1946年4月: 蚕糸科を分科、養蚕科・製糸科を設置。
- 1947年: 紡績実習工場完成。
- 1948年3月: 製糸教婦科、廃止。
- 1948年7月: 京都工専と合同で 「京都工芸繊維大学」 設置認可申請。
- 1949年5月31日: 新制京都工芸繊維大学発足。
- 旧制京都繊維専門学校は、繊維学部 (養蚕学科・製糸紡績学科・繊維化学科) の母体として包括された。
- 大学本部は工芸学部 (旧京都工専、左京区松ヶ崎) と繊維学部の中間地点、旧生糸検査所 (上京区一条御前通東入) に設置。
- 1951年3月: 京都繊維専門学校、廃止。
歴代校長
[編集]- 京都蚕業講習所
- 所長: 松永伍作 (1899年4月 - 1908年4月)
- 所長: 石渡繁胤 (1908年4月 - 1911年6月)
- 所長心得: 川島勝次郎 (1911年6月 - 1912年5月)
- 所長: 川島勝次郎 (1912年5月 - 1914年3月)
- 京都高等蚕業学校・京都高等蚕糸学校・京都繊維専門学校
- 校長: 川島勝次郎 (1914年4月16日 - 1921年8月)
- 校長: 山田登代太郎 (1921年8月 - 1932年4月)
- 校長: 村松舜祐 (1932年4月 - 1945年11月24日[2])
- 校長: 岡村精次 (1945年11月24日[2] - 1951年3月)
- 前・盛岡農専校長。新制京都工芸繊維大学繊維学部 初代学部長
出身者
[編集]校地
[編集]前身の京都蚕業講習所から引き継いだ、葛野郡衣笠村大字大将軍 (現・京都市北区大将軍坂田町) から花園村 (現・京都市右京区花園鷹司町) にかけての校地を使用した。衣笠校地は後身の京都高等蚕糸学校・京都繊維専門学校・京都工芸繊維大学繊維学部に引き継がれ、1968年7月に京都市左京区松ヶ崎 (工芸学部(旧京都工業専門学校)校地) に統合移転するまで使用された。現在、旧衣笠校地は花園団地となっており、その東北隅(1号棟の東北方面)に、1978年3月、京都工芸繊維大学衣笠同窓会によって「京都工芸繊維大学繊維学部発祥之地」の石碑が建立された[3]。
参考書籍
[編集]- 京都工芸繊維大学開学100周年・大学創立50周年事業マスタープラン委員会記念誌刊行専門部会(編) 『京都工芸繊維大学百年史』 京都工芸繊維大学百周年事業委員会、2001年3月。
- 『京都工芸繊維大学繊維学部七十年史』 (京都工芸繊維大学、1971年) が多くの箇所で参照されている。
関連項目
[編集]- 京都工芸繊維大学 - 後身校
- 京都高等工芸学校 (旧制) - 京都工芸繊維大学のもう一つの前身校
- 旧制専門学校 - 高等農林学校
- 学制改革
脚注
[編集]- ^ 京都工芸繊維大学同窓会会則 設立趣旨、2015年7月1日閲覧。
- ^ a b 『官報』第5664号、昭和20年11月28日。
- ^ 「京都工芸繊維学部発祥地」、発祥の地コレクション「京都工芸繊維大学発祥之地」。